なすとま (※未完成作品)

01

「ん……」
 いつの間に気を失っていたのか。
 目を開ければ、目の前ではシルクハットを被ったタキシード姿のカエルさんが、ステッキをクルクルと回しながら踊っていました。
「やぁ、お嬢さん。目覚めましたか?」
 立ち上がってみると、地面に足が着いているはずなのに、宙に浮いているようなフワフワとした不思議な感覚。
 周囲を見渡せばピンク色の空間に透明なシャボン玉が浮かんだ何とも幻想的な風景が広がっています。
 そして目の前には英国紳士風なカエル。何でしょうこれは。
「えっと……貴方は?」
「私の名前はカエル男爵、ご覧のようにただのカエルです」
 シルクハットを取り、丁寧にお辞儀をするカエル男爵さんに、こちらもお辞儀を返します。
「ただのカエルは喋らないと思いますが……」
「ケロケロケロ!お嬢さんは冗談がお上手だ!」
 カタカタと首から上だけを揺らして笑うカエル男爵さん、ちょっと不気味だけど可愛らしい笑い方です。
 そういえばこの方、何処かで見たことあると思ったら、先日私が購入したTシャツの柄にそっくりではありませんか。
 カエル男爵さんは、手に握っているステッキでこちらをビシリと指して語気を強めます。
「我々はいつだって喋っているのです!」
「は、はぁ……確かに鳴いているのはよく聞きますが」
 私の住む土地では、夕方になるとカエルの大合唱が始まります。
 結構な量のカエルが草むらに潜んでいるに違いありません、アレは大規模な会議か何かだということでしょうか。
「つまり貴方達人間が我々の言語を聞き取れないだけなのですよ、ケロッケロッケロ!」
 ひとしきりケロケロと笑った所で、カエル男爵さんは笑うのを止めました。
 そしてその細い腕にはめてある立派な時計を見て大袈裟に驚いてみせます。
「おや、大変。もうこんな時間ではありませんか!ではお嬢さん、私はこれで失礼いたします」
「何処かに行かれるんですか?」
 まだ会って数分も経っていないのに、忙しい方のようです。
「そうですね、まずはこれを飲んで……」
 カエル男爵さんは、タキシードから瓶状の容器を取り出し、蓋を開けて中身を一気に飲み干しました。
「うぃー、ひっへっへ!!ケロッケロケロケロ!!」
 あっと言う間に真っ赤な顔になったカエル男爵さんは、千鳥足でフラフラと歩き始めました。
 これはどう見ても酔っ払い状態ではありませんか。彼が飲み干したのはどうやらアルコールだったようです。
「カエル男爵さん、そんなに酔っ払っていたら危ないですよ」
「おりょうひゃん、そりぇでわぁ、さようなりゃあ!!ケロッケロ!!」
 カエル男爵さんが別れの言葉(?)を告げると同時に、彼の着ていたタキシードやシルクハットが飛び散り、
 まるで透明な壁に磔にされているかの様にその手足が開かれます。
 そして次の瞬間、大きく鋭いナイフが飛んできてその体を突き刺します。
「ケロ!」
「ひぃっ!」
 ビクンと、電撃に当てられた様に体が跳ね上がるカエル男爵さん。
 ナイフは、あっと言う間に薄い皮を引き裂くと、今度はピンが飛んできてそれを貫き留めました。
 ドクンドクンと脈打つ心臓が、生命の鼓動をしっかりと刻んでいるのが分かります。
「ケ……」
 グッタリと手足を垂れるカエル男爵さんの体は、ピンに刺されながらも時折ピクピク動いたりもします。
「いや、いやああ……」
「ケロケロケロケロケロ!!」
 カエル男爵さんは、その臓物をさらけ出して、狂った様に笑い始めました。
 そして次の瞬間、最後の針がその脈打つ心臓に突き刺さり、
「ギェ!」
「いやあああああああああ!!」

02

「うわああああ!!」
――ガバッ
「はぁ……はぁ……」
 自分の叫び声に驚いて目を覚ますと、外は既に明るく日が昇り始めています。
「夢……?」
 寝起きは最悪。目元にジワリと浮かぶ涙と、額にかいた汗を手で拭います。
 まだバクンバクンと脈打っている心臓を落ち着けるため、私はもう一度布団に寝転がりました。
「ふぅぅぅぅ……夢かぁ」
 夏は暑いし、虫が多いし、食品がすぐ腐る、寝苦しくて悪夢を見やすい。
 考えれば考えるほど嫌なことが浮かびます。
 私の周りでも夏は嫌いだという友人が多いですが、私は夏か冬かと言えば夏の方が好きです。
 その理由としては、単純に夏の方が日の出が早いから。
 冬の早朝は暗すぎて、目が覚めることは目覚まし時計の誤報以外ではほぼ有り得ないのですが、
 もし万が一目が覚めても、寒くて暗いという理由で結局布団にくるまってしまいます。
 だから私にとって早朝に行動する気になれるのは、日の出が早い夏の間だけなのです。
 そう、だから頑張れ、頑張れ私。明るいから大丈夫、起きろー、起きるんだー。
 あまりにもアレな夢のせいで、テンションは下降気味ですが、いつも通り健康的に起床するため、声援を送り続けます、もちろん心の中で。
 私の名前は日向夏蜜柑、青春真っ盛りの十六歳です。嘘です。青春してません、ここしばらくご無沙汰しております。
 まぁ青春しているかどうかは問題ではなく、県内の女子高校に通うピッチピチな(死語?)女子高生でして、
 現在は夏休みのため家でまったりとした時を過ごしています。
 本来高校生の夏休みといえば部活とか勉強で忙しくしているのが普通なのですが、
 茶道部幽霊部員兼帰宅部な私にとって、そんなことはさしたる問題ではありません。
 もちろん長期休暇定番の宿題は八割方済ませました。
 やる事も無いし、友人達は皆部活だから遊ぶことの出来る日は限られてくるし。
 そんな私が何故早起きをしているか。
 あ、別に近所の公園で行われているラジオ体操の皆勤賞の景品であるカエル柄の小銭入れが欲しいからじゃないですよ?本当です。
 だってこの前一回行かなかったせいでもう貰えませんし……
 しかし、あの小銭入れは都内に行った際に似たようなものを購入する予定です、いつか必ず。
 では何故かというと。
 簡単に言ってしまえば、この早起きは残り2割分の宿題のためなのです。
 いわゆる自由研究系の課題で、全くもって面倒臭いことこの上ない。
 この課題、提出は任意のはずなのですが、とある教科の失態のせいで私は強制となっています。
 こればかりは仕方ないことなのです。
 その教科とは、生物。
 考えてもみてください。
 いくら学校の授業とはいえ、活発に動き回っているカエルさんをアルコールに漬けてベロンベロンにさせ、
 生きたまま刃物で切り裂くなんて人間のすることではないと思うんです、私。
 そんな非人道的な事を授業で強要する教師も教師ですが、
 キャーキャー言いながらも女子高生特有のノリで面白半分に解剖をしていく周りの友人達もどうかと思いました。
 カエルに特別な感情を抱いていない人間なら、まぁそうなるんですかね。
 しかし実は私、何を隠そうカエルが好きでして。
 だって可愛らしいじゃないですか、愛くるしいじゃないですか。
 人間は何かの犠牲無しでは生きていられないとは言いますが、
 こんなにも愛くるしいカエルさんをわざわざ解剖する必要なんて無いんじゃないのだろうか。
 と言う様な事を教師に訴えましたら、予想通り見事に生物の評価を人質に取られまして、
 それでも断固として動かなかった私は結局、夏休みに本課題を提出することになったわけです。  本課題の内容……それは、
「自分の大嫌いな野菜を夏休みの間に育成と観察をし、それを食べることで好き嫌いを克服していく様子を日記形式でレポートにまとめること。
 野菜が夏休み中に収穫出来ない、克服出来ないと判断した場合は、カエルを生け捕りにしてその解剖を行いレポートでまとめること、書式は自由とする」
 あの女性生物教師(34歳・独身)はもはや人間じゃないです、アレは人間の皮を被った悪魔かその類の何かなのです。
 若い娘に溢れんばかりの負の感情を抱き、授業とか課題で私たちを苦しめて日頃の鬱憤を晴らしているに違いない。
 カエルの解剖授業以来、今朝の様にカエルの解剖される姿を夢で見る始末。
 この前なんか、解剖されたカエルがゾンビの如く襲ってくるのを銃で応戦する夢を見ました。
 襲いかかられるのもちょっと怖いのですが、彼らに発砲して撃退すると肉片を派手に飛び散らかすという演出付き。
 もはや逃げずにはいられませんでした。
 そんな訳で、カエルの解剖だけは絶対にお断りなため、大嫌いな野菜の育成を行うことになりました。
 大嫌いな野菜と言っても……私は野菜全般が嫌いなので何を育成しようか悩んでいた所、
 ちょうど両親が私の大嫌いなナスとトマトを育成しているのを聞きまして。
 そもそもなんでこの方達は、娘の嫌いな野菜ランキングで優勝を争うほどの二大強豪、ナスとトマトを育成してるんでしょうか。
 確かに、両親は私と違ってナスとトマトをはじめとした野菜全般が大好きなのですが、まさか育成までしていようとは考えてもいませんでした。
 とは言え、ありがたいことに野菜はだいぶ育っていたので、事情を話して代わりに育成させてもらうことになりました。
 両親の話によれば野菜は朝早くに水をあげた方が良いとか、声をかけてあげると美味しくなるだとか。
 明らかに素人意見ではありますが、今まで通りの流れで育てた方が良いだろうということで、私も早朝に起きて水をあげている次第であります。
 つまりこれは、愛くるしいカエルさんをこの手で傷つけないための大切なミッション。
 よし今度こそ起きるぞ。
 そんな感じで目を開けますが、気になったのは布団の不快な温もり。自身の熱が移るせいで同じ所に長く居るとちょっと心地悪いんですよね。
 そのため、未だ私の熱に冒されていない冷たい部分が無いかを探ってもぞもぞ。
 表面上は全滅でしたが、布団の裏側がヒンヤリしてて良い気持ちなので、しばらく手を突っ込んでクールダウン。  もう少し、もう少しだけこうしていたい。
「……ぅぬう」
 しかし、いくら部分的に冷却しても、全身を襲う蒸し蒸しした暑さには耐え切れません。
 たまらずに寝返りをうてば、今度は窓から差し込む光が目を直撃。
「ぎゃあぁぁ」
 太陽さんめ、彼らはニコニコ笑いながら平然とこちらの精神を潰しに掛かって来ます。これだから夏は。
 いや、すいません夏大好きです、大好きなんですけど、もうちょっと日差しが弱くても良いかな。
 窓の外からは可愛らしい小鳥のさえずりとやかましいセミの大合唱、隣家の犬もキャンキャン吠える中、何処かでニワトリが鳴きました。
 ついでにいえば、壁という思春期において大変重要な境界を軽く凌駕して、父親の地響きのようなベース音もとい、いびきが聞こえます。
 主にこれが不快指数を倍増させている気がします。
 まさか、朝からこんなに素敵なオーケストラを味わうことになるとは思いもよりませんでした。
 仕方なく起き上がると、くあーと伸びをして一息。ふあーとあくびをしてまた一息つきます。
 手を伸ばして目覚まし時計を掴むと、その針は五時五十五分頃を指し示しています。
 アラームは六時ちょうどにセットされていますので、鳴る前に即解除。
 起きるまで若干のタイムラグはありましたが、本日もいつも通りの時間です。
 アラームよりも早く起きられるなら、目覚まし時計なんてお払い箱な気がしそうなものです。
 しかしながら、やはり人生に保険は必要でして、
 アラーム無いと逆に起きられるか不安で眠りにつけないという事態に陥いる心配性な私には、この目覚まし時計が心の安定と成り得るのでした。
 近頃は、大体アラームが鳴る五、六分前に目覚めて解除してという、一連の流れが構築されつつあります。
 まぁ今日の様に悪夢でうなされる日は変な時間に目覚めることが多いですが。
 パジャマ代わりに着ていたTシャツは汗を吸いベトベトしているので、新しいものに着替えます。
 本日はギター片手にビシりとポーズを決めたカエルさん柄。
 とってもプリティなこのプリントTシャツは、近所のファッションセンターで安売りしていたものです。
 もちろんこれは出掛けない日限定用ですよ、こんなTシャツ着て友人に会うのはさすがに恥ずかしいですから。
 でも割と着心地が良いのでお気に入りの一着。
 短パンも脱ぎ、ジーパンに履き替えると、寝起き直後の軽い倦怠感を抱きつつ、のそりのそりと台所に向かいます。
 冷蔵庫を開けて紙パックの牛乳を取り出すとそのまま口を付けてゴキュゴキュと喉を鳴らして飲み続けます。
「ぷはぁ、夏はやっぱりコレだよね!」
 誰に言うでもなく、テレビコマーシャルのように決めポーズ付きで言ってみますが虚しいだけ。
 父も母も牛乳嫌いで、牛乳を飲むのは私だけなのでこんな事が出来ますが、良い子は真似しちゃいけません。
 行儀が悪いですからね。
 それにしても、私は牛乳好きでほぼ毎日飲んでいるのですが、ちっとも身体が成長する気配が見られません。
 背の高さはまだ平均的なので良いとして、出来ればお胸辺りにもう少しボリュームが欲しいところではあります。
 牛乳を冷蔵庫にしまいつつ、自身のちょっぴり残念な胸を眺め、ため息を一つ。
 こんなこと言うのもなんですが、母は私と比べ物にならないほど立派なお胸をお持ちでして、
 その遺伝でこちらもどうにかなるのではないかと淡い希望を抱いていた時代もありました。
 しかし最近になって、淡い希望の代わりに徐々に危機感を抱き始めた私は、自らコツコツと努力をしているのです。
 さて、毎朝恒例の牛乳分補給も済みましたので、早速畑に向かいます。

03

 カラカラと扉を開き、玄関から外に出ればサンサンと降り注ぐ日光。早朝とはいえ強い日差しがジリジリと肌を焼きます。
「うへぁ……」
 最近の太陽さん、過労が心配されるくらい働きすぎな気もしますが、まぁ夏は彼らの発表会のようなものなので許してあげましょう。
 それに太陽さんが頑張ってくれるおかげで、野菜はすくすく立派に育ってくれています。
 せっかくの夏休みに、大嫌いな野菜を毎朝早起きして世話するなんて、
 考えるだけで憂鬱過ぎて泣いてしまいそうでしたが、育ててみると案外面白いものです。
 まぁ私が嫌いな野菜を克服出来て美味しく食べられるかどうかはこの際置いておきましょう。
 育てていく過程を日記形式でレポートにまとめ、克服したという事を示す事が出来れば、カエルさんを解剖しなければならない運命は免れる。
 つまり、収穫した野菜を無理矢理にでもスマイル全開で食し、その写真を貼り付けておけば問題ありません。
 こう見えても自然な社交スマイルには自信があるのです。
 しかし最近では、少しずつ確かに成長していくナスとトマトに愛着が涌いてきたので、もしかしたら本当に苦手を克服出来るかもしれません。
 そんな事を思いついた昨日の私は、晩御飯に出されましたナスとトマト
 (我が家では定期的にナスとトマトが漬け物やサラダの形で食卓に出されたり、関係ない料理にさりげなく混入されていたりします。
 両親が好きだという理由もありますが、それと同時に私の苦手を克服させようとする母親の恐るべき陰謀なのです。
 しかし敏感なナストマセンサーを搭載している私は、ことごとくそれを察知してスルーしてきました)
 を試しに一口ずつ食し、あまりの不味さに咽び泣きそうになりながらも自慢の社交スマイルを披露。
 しかし父親には「その不気味で恐ろしい笑顔を今すぐ止めてくれ」と嘆願されてしまいました。
 それが年頃の娘に言う言葉かと。あんまりです。
 ともかく、買ってきた物と自分が一生懸命育てた物では味わいも全く違うはず、そう信じています。
 実も大きくなり、綺麗に色づいてきたので明日辺りには収穫出来る予定。
「よしっ、今日も一日頑張りましょう!」
 あまりの暑さにくじけてしまいそうな自分にカッチリ気合いを入れ、家庭菜園へと向かいます。
 玄関から出て、裏口側にある家庭菜園。
 菜園と言っても、それほど大したものではなく、ちょっとした仕切と風を防ぐ板でこしらえた2メートル平方も無い小さな畑です。
 ナスとトマト限定で植えられているこの菜園は、両親が私に隠して育成していましたので、
 遠目から見たら板で隠れていて、中が見えない仕様になっています。
 途中、水道でジョウロに水をたっぷり汲んで、それをえっちらおっちら運びます。
 このジョウロは、水を入れるとずしりと重くなり、私の様に文化系の部活に(名目上)所属している女の子にとってはかなりの重労働です。
 この夏で、私の少しプルプルしていた二の腕も着実にすっきりシャープに鍛えられているのでした。それに関しては本当に感謝しています。
 途中、ジョウロを置いて乳酸の溜まる腕を休ませつつ、家庭菜園に辿り着きました。
 しかし中に入ろうとした所でちょっと立ち止まります。
「おや?」
 家庭菜園の中から、何やらボソボソと話し声が聞こえてくるのに気付きました。誰かいらっしゃるみたいです。
 話し声から察するに少年と少女が一組。
「……さん、……で……!」
「い……が……もい」
 しかも、この少年側が一生懸命に何かを訴えかけている雰囲気。
 もしかして愛の告白とかしちゃってるんじゃないですか。
 何ですかこれは、何なんですか。
 何故、この方達は他人様の家の家庭菜園で告白なんてしているのでしょう?
 そういう甘酸っぱい青春は放課後の校舎でやるべきです。作物達が植えられた場所ではムードも何もあったものじゃないです。
 まぁ確かに早朝で誰も居ないし、菜園自体も隠れるのにはすごく都合の良い空間で、
 普段は家の者も近付かないから、何となく背徳感がそそられるのは分かります。
 私もこの夏の間、あの周りから遮断された空間で、野菜の形が何となく卑猥に見えて赤面したという経験は何度かありました。
 あ、もちろん赤面しただけですよ。
 あれ、でもちょっと待ってください。
 もしかしてこの状況黙って見過ごせば、下手したら私が一生懸命育てたナスがもぎ取られて少女に美味しく頂かれてしまうんじゃないでしょうか。
 神聖なる家庭菜園でそんな不埒な行為を許す訳にはいきません。
 例えそれが有り得ないとしても、せっかく育てた作物が踏まれたりして荒らされるかもしれない。
 来訪者には悪いですが、早急に出ていってもらう様に注意をしなければ!
 私は意を決して家庭菜園に飛び込みました。リーさんも驚きのダイナミックエントリーです。
「ちぇえええい!そういう行為は学校でやっ……!!」
 シュババッと勢い良く躍り出たのは良いものの、そこには人の姿が見当たりませんでした。
「はれ?」
 なるほど、最近の若者(私も十分若いのですが、最近青春してないせいで少し自信がありません)は、人の気配を察して逃げるのが得意なようです。
 まぁどうやら、私の大切なナスとトマトはいつも通り無事に実っていますし、良しとすることにしましょうかね。
 今度からは逢い引き禁止の張り紙でもしたほうが良いかもしれません。こちらとしても、そんな場面を見かけてしまったら凄い気まずいですから。
 さて、気を取り直して作物に水をあげるとしましょう。ジョウロを頭上高く持ち上げてシャワー状の水をまんべんなく作物に与えます。
 水滴が朝陽にキラキラと反射して、作物を綺麗に彩ります。こう見れば大嫌いな野菜のはずなのに、美味しそうに見えるから不思議です。
 ついでにそれぞれの根本にも水を与え、よいしょとしゃがみこんでナスの実に声をかけます。
「おはようございます」
 両親曰く、これが野菜を美味しく育てるコツらしいです。
 確かに花などは声をかけたり音楽を聞かせたりすると、綺麗に咲いてくれると言いますし、割と効果があるのかもしれません。
「本当に良い形をしてますね、言い表すならば、そうですね。ま、まロい?」
 何かの小説で聞いた覚えのある表現で、楕円形の実を褒め讃えてみました。
 その実は、すっかりと綺麗な黒紫色に染まり、まるっとした部分から水滴が滴り落ちます。
 あぁ、なんて美味しそうなナスでしょう。生食では灰汁が多く食べられたものではありませんが、ナスと油の相性は最高だと言います。
 我が家でもナスをたっぷりの油で炒め、すりおろしショウガと醤油をかけたシンプルな料理が出ることがあります。
 ナスの実は油をスポンジの様にグングン吸収して、その口当たりをトロリとした味わいにするそうです。
 私が食べられるかどうかはこの際問題ではありません。
 そして次にトマトに視線を移しました。
「おはようございます、トマトさん」
 見るからにみずみずしいその果実は、真っ赤に染まってほぼ完熟、皮は新鮮でピンと張り、まるっとした部分から水滴が滴り落ちます。
 あぁ、なんて美味しそうなトマトでしょう。
 水分をたっぷりと含んだその実は、生食にも適しているので塩をかけてガブリと頂くも良し、酢で漬けてピクルス風にするも良し。
 我が家でもトマトを冷凍庫で数分放置して冷やし、輪切りにした物に塩をかけたシンプルな料理(?)が出ることがあります。
 私が食べられるかどうかはこの際問題ではありません。
「真っ赤に照れちゃって、可愛いですね、ふふ」
 ぞわわ。野菜相手にこんな台詞を言ってしまう自分に鳥肌と少々の自己嫌悪。
「どちらもすっかり成熟しましたね。明日辺りには収穫出来ますから、もう少し待っていてくださいね」
 そろそろ収穫の時期ということは、いよいよどんな食べ方をするか考えなければ。
 大嫌いな野菜を克服するためには、この食べ方という問題は軽視することが出来ません。
 やはりナスは漬け物、トマトはサラダでしょうか。
「しかし昨日試しに食べたナスの漬け物はキュッキュとした歯ごたえが無理でしたし、何よりも」
「色がキモいのよ」
「ヒドイっす」
 そう、そうなんです。確かに綺麗な色ではありますが、ナス嫌いな私から見れば食べ物の色じゃないんですよね。
 漬け物だと、鉄釘と一緒に漬けておけば鮮やかな色が残るって言いますけど、どちらにしても気持ち悪いことに変わりはないんです。
 あ、ちなみにナスが紫色なのは、皮にナスニンというアントシアン系の色素が含まれているからだそうです。
 敵を知り己を知れば百戦危うからず、ナス嫌いを直すために、しっかり勉強しましたよ。
 しかしナスニンて、なかなか可愛らしい名前じゃないですか、ふふ。
「ん?」
 今、ナスの色について考えたせいで軽くスル―しそうになりましたが、すぐ近くで誰かの声が聞こえてきた気が。
 ぐるりと辺りを見渡しますが誰も居ません。
「おかしいですね、今確かに……」
 まさか、さっきの畑荒らし(未遂)男女ペアがまた戻ってきたというのでしょうか。
 これはいけない、家庭菜園を溜まり場にされては適いません。
 私は急いで家庭菜園から出ると、その周辺を探索。
 しましたが、見つかる気配が全くしません。くそう、最近の若い子は逃げ足が速い。
「大好きっすー!」
「アタシは、あんたのこと嫌いなの!諦めが悪いわね!」
「ガッビーン」
 またです。しかも今度は家庭菜園の中からはっきりと聞こえました。
 それにしてもガッビーンて。
 ピッチピチという言葉を日常的に使う私が言うのもなんですけど、なかなか年季の入った言葉を使う若者が居るものです。
 今度こそ逃げられないタイミングで家庭菜園の中に飛び込んでやりましょう。私だってやれば出来る子なんです。
「ちぇすとー!」
 掛け声と共に俊敏な動きで家庭菜園に飛び込みます。
 この掛け声は、別に蹴りとかは繰り出していませんが、何となく言ってみたかった言葉でした。
 しかしやはり誰も居ません。
「くそう、どこまでもコケにしてくれますね」
「オレ、トマトさんと一緒のサラダが良いっす!」
「あんたねぇ、自分の味分かってて言ってんの?」
「!?」
 何でしょう、何が起こっているのでしょうか。至近距離から話し声が聞こえるのに、声の主の姿が見えない。
「あんたがサラダなんかにされたら良い未来は待ってないのよ!大人しく漬け物にされるか、油で炒められれば良いんだから!」
「じゃあ、一緒に漬け物になるっす!」
「それも無理!アタシの場合は酢漬け。あんたは、ぬか漬けか浅漬けよ!」
 よく分からない会話が続けられる中、ガサガサと葉が揺れるので、何かと思って見てみると、隣り合ったナスとトマトがその実を揺らしていました。
 そして、この会話はそこから発生しているような気がします。
 まさか、いやそんなはずは。
 試しに、揺れているトマトを掴んで、耳を近づけてみると、
「やだ、何なの、ちょっと!アタシの皮はデリケートなんだから、乱暴に触らないでよ!」
「ひぃっ!トマトが喋った!?」
 私は思わずトマトの実を離し、飛びすさります。
「何よ、この人間、生意気ね。トマトだって喋る時は喋るわよ!」
 赤い実をフリフリと揺らして、目の前のトマトから若い女性の声が聞こえます。
「ちなみにナスも喋るっすよ!」
 黒紫色の実をフリフリと揺らして、今度はナスから若い男性の声が聞こえました。
「ひぃっ!ナスも喋った!?色がキモい!」
「ヒドいっす……」
 あぁ、あまりにも驚いてついつい本音が漏れてしまいました。
 色がキモいと言われて落ち込んだのでしょうか。ナスの実は、そこはかとなく哀愁をおびている気がします。
 いや、それにしても一体何故こんな不可思議な現象が起きてしまっているのでしょうか。
「大体ねぇ、アタシ達はいつだって喋っているのよ?あんた達人間が、それを理解出来ていないだけなんだって!って、ちょっと聞いてるの?」
 この台詞、似たようなことをつい最近何処かで聞いた覚えが。
「そうか!これは夢……私はまだ夢の続きを見ているんですね。もう我ながらなんてお寝坊さんなんでしょう!」
 夢か現実かを判断したい。そんな時にすることと言えば、昔から相場は決まっているのです。
 ふぅ、と心を落ち着かせて、右腕を大きく振りかぶります。
 そして覚悟を決めると右腕の遠心力を利用して、頬に勢い良く、思い切り強烈なビンタをぶちかましてやりました。
――バチコーンッ!!
 もの凄い打音が鳴り響き、私の体は衝撃により軽く吹き飛びます。
「ぐぶぅっ……」
 あまりの痛みに地面へとうずくまる私、耳がキンキン鳴り、頬はジンジンと熱を持ったように痛みます。
 紛れもなくしっかりとした痛みの感覚が夢ではないことを告げます。
 我ながらなかなかの破壊力を持つ躊躇いのないビンタ、ここ数日のジョウロトレーニングが相当効果をもたらしているようです。
「一体何がしたいのかしら」
「分からないっす」
 呆れたような口調で呟く二人、もとい二種。これが夢ではないとしたら一体何だというのでしょうか。
 とりあえずナスとトマトから距離を置くと、しばし思案。その結果、もう一つの可能性を導き出しました。
 そうです!超小型スピーカーです!
 きっとスピーカーが配置されていて、そこから声が出る仕組みになっているのです。
 恐らく両親が私の野菜嫌いを克服させるために仕組んだ巧妙な罠。
 つまり野菜と会話をさせることにより、更に愛着を湧かせる作戦なのです。こんな事されたら逆に嫌いになりそうですけど。
「そうと分かれば怖いものはありません」
 しかし辺りを見渡してもそれらしい装置は見つかりませんし、そもそも電源を何処から持ってきているのか。
 そして何よりも、よくよく考えてみれば、
「何を探してるんすかー?」
「おおかたスピーカーでも探してるんじゃないの、馬鹿みたい」
 この方々、もしかしてリアルタイムで喋っていませんか。さすがに両親がここまで手の込んだ悪戯をするとは思えません。
 つまり、どういう事かと言うと、
「化け物め!たっ、耕してやる!」
 あまりの恐怖で軽くパニック状態に陥った私は、近くにあった鍬をむんずと掴むと、振りかぶってナスの実ごと潰そうとしました。
「止めるっす!人殺しっすー!」
「人じゃない、お前等は野菜だぁ!」
「ちょっとちょっと!落ち着きなさいよ、あんた!何か目的があってアタシ達を育ててたんじゃないの!?」
 そう言われて、ふと我に返ります。
 そうでした。
 ここでせっかく育てたナスとトマトを台無しにしてしまったら課題は白紙状態。
 そうなると私は、カエルさんの解剖をしなければいけなくなってしまいます。

04

!! 企画凍結中 !!

▲モドル