神に死を、愛しき死神には接吻を(※未完成作品です)
死にそうなほどの痛み
むしろこの痛みが無くなるのならば死んでしまいたいと思う
そんな痛みが消えていったのは誰のおかげだったのだろうか
「ア・・・タ・・・タ・・・カ・・・イ」
何か温かいものが体に入り込んでくる感覚
今までの痛みが幻だったかのように消えていく
ゆっくりと目を開くと、そこには眩い光と共に少女が一人
思えば、この出会いこそが全ての始まりだった
―――ドスッ
「……っがは!!」
急に固い地面に落とされた衝撃で、失われていた意識を無理矢理引き戻される
しかし、意識が戻るだけ
起き上がることなど出来ないし、目すら開けられない
朦朧とした意識
「ここに放り込んでおけばすぐに死ぬだろ」
「そうだな」
そんな物騒なことを話しあう二人の男の声が遠ざかっていき、静寂が訪れる
―――ゾブゾブゾブ
「ガッ……!!!」
体全体を岩石ですり潰されているような痛さ、そして体の内側に溶岩が流れるような熱さ
体の内側と外側から襲う耐え難い痛みと熱さに脳が絶え切れない
痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
「ア……ァ」
いっその事死んでしまいたいと思える程のひどい痛みが全身を蝕ばむ
死にたい、これ以上生きていても痛いだけだ、苦しいだけだ
「シ……ニ……タ……イ」
この痛みがなくなるのなら死にたい
そう思っていたとき、何か温もりが触れてきた
―――サワサワ
「ナ……ン……ダ?」
―――サワサワサワ
目を閉じてても分かる
誰かが胸の辺りを撫でている
すると胸の辺りから眩いばかりの光があふれ出し始めたのだ
温かいものが体に注ぎ込まれる様な感覚
今までの痛みが嘘だったかのように消えていく
ゆっくりと目を開けてみるとぼんやりした視界の中に少女らしき姿が見えた
「………………」
口元が動いているので何か呟いているらしいが、意識が朦朧としていて聞き取れない
少女はこちらを心配そうに見ながら、俺の胸の辺りを必死に撫でている
そして唐突に眩しい光が消えると、痛みは完全に無くなっていた
「だ……じ……うぶ?」
意識が少しずつはっきりとしてくる
「ヌゥ……」
意識が完全にはっきりすると同時に、
今まで聞き取れなかった少女の声もはっきりと聞こえてきた
「だいじょぶ?」
幼さの残る声はこちらを心配して尋ねてくる
「……あぁ」
「……ふぅ」
安心したかのように頷くと少し離れる少女
自分の置かれた状況を理解出来ず、とりあえず辺りを見渡してみた
目に付くのはゴツゴツとした岩の壁と鉄格子、牢屋のような所に投げ込まれたのか
何か視線を感じると思えば、先ほどの少女がじーっとこちらを見ている
背丈は小さく、幼いが綺麗な顔立ちをした少女
首の部分が開いていてすっぽりと被る簡単な造りの服を着ているが、所々破れかけている
ここが牢屋らしいことを考えると、彼女が着ている服も囚人服のようなものなのだろうか?
そして一番印象的なのは、まっすぐに伸びた長髪、綺麗な群青色だ
少女は破れかけのボロボロな服を着ているにも関わらず、とても神秘的な雰囲気を漂わせていた
「……」
少女は、ただこちらをじっと見つめていた
そしてしばらく沈黙が続いた後ポツリと呟く
「沙羅、神崎沙羅」
名前か、目の前の少女は神崎沙羅というらしい
「あ、あぁ。沙羅っていうのか、よろしく」
「ん、よろしく」
本当に簡単な自己紹介をされ、こちらも名乗らなければと思う
「俺の名前は……」
そこまで口に出して、気付いた
(俺は、誰だ)
自分が何者なのか説明できない、というより知らないのだ
記憶に引き出しがあるのならその中身が空っぽの状態
元より何も入ってなかったのではないかと思えるほど自分について何も知らない
そういえば自分はどんな顔をしていたろうか
そういえば自分は何処にいたのだろうか
そういえば自分は何だったのだろうか
「俺は……」
――――グラッ
必死に思い出そうとすると、激しい頭痛と眩暈のせいで意識が飛びそうになる
その瞬間、たった一瞬だけではあるが、誰かの姿が見えた気がした
その姿をもう一度目を閉じて思い出そうとする
やはり襲ってくる激しい頭痛と眩暈、意識が飛びそうになるのを堪えていると
頭に飛び込んでくるのは雑音交じりの音声と映像
その中でうっすらと見えるのは小さな赤ん坊を抱く女性
「こ……ザザ―…………ザ……は……ど……ザザー…………無…………」
何か呟いているらしいが、雑音のせいでよく聞き取れない
優しく赤ん坊を撫でながら、その目には涙を浮かべている
そして赤ん坊の首に何か装飾品らしき物をかけると、その赤ん坊を崖の淵まで抱きかかえ…………
―――ブツッ
そこで突然映像が途切れ、俺の意識は現実へと戻ってきた
「はぁはぁ…………」
今の映像は、一体何だ?
「ねぇ……、だいじょぶ?」
またしても心配そうにこちらの顔を下から覗き込む少女
「あ、あぁ。大丈夫……」
そうは言ったが、実際大丈夫な訳がない
自分が何者か分からないのに、正気を保てる人間が居るのだろうか
それでも、目の前の少女には心配させたくない
そんな気がした
「ごめん、自分の名前が分からない。昔の記憶が無いみたいだ」
「貴方の名前はアケミヤシン」
「アケミヤシン?」
「明るい、宮の、真って書くの」
少女は、そう言いながら地面に字をなぞっていく
「明宮 真……、でも何で俺の名前を?」
「予言、私が次に会う人はそういう名前だって」
予言、と少女は言った
予言、つまり未来予知というものだろうか
そんな事を普通の子供が出来るのか、気になって尋ねてみた
「予言なんて出来るのか?」
すると、少女は少し俯いて呟いた
「母様が教えてくれたの、予言のやり方と字の書き方
私にはソシツっていう物があるんだって」
エヘヘと、笑ってはいるけれど、その表情は何処か悲しそうだ
この話題についてはこれ以上踏み込まない方が良いと思った
(母親……か)
もしかするとさっきの映像に映っていた女性は俺の母親?
しかし、そうすると話がおかしくなる
あの赤ん坊は最後、自身を生んだ母親の腕によって崖まで抱きかかえられ……
映像が途切れる瞬間に見えた
確かにあの女性は、赤ん坊を抱く手を離した
あの赤ん坊はあの崖下で死んだ、あんな切り立った崖から落とされて無事なはずがない
だからあの赤ん坊は俺ではないし、あの女性は俺の母親ではない
しかし、何故かその考えが拭い切れなかった
「シン」
「……」
その考えを捨て去ると、何かが胸に引っかかるような違和感がするのだ
「ねぇ、シンってば!」
「あ、あぁ、ごめん、真って俺の名前だったな」
唐突に真と呼ばれても実感が湧かない
俺はこれから明宮真として生きていくことになるのか
(まぁ時が経てば過去のこと思い出すかもしれない、それまでは明宮真として……)
「シン、すごい汗かいてるけど、暑いの?」
言われて気付いた
そういえばすごい汗だ、布製の服がペッタリと肌に吸い付いてくる
ベタベタしていて実に気持ち悪い
「いや、暑くはないけど…………そうだな、ちょっと服を脱いでも良いか?」
自分より幼いとはいえ、女の子への礼儀として聞いておく
すると沙羅は怪訝な顔をして呟いた
「え、ヘンタイさんだったの?」
「いや、ヘンタイサンって何の事だか知らないけど
響きが嫌だからその言葉で俺を呼ばないでくれ」
聞いたことの無い言葉だったが、何か嫌な気持ちになったのだ
「ただ、汗で服がベトベトになって気持ち悪いから、脱ぎたいなって」
少女は納得したように頷く
「じゃあ私、あっち向いてる……」
そう言うと壁の方を向く少女
「あ、あぁ」
少し疑問に思った
服を脱ぐところを見なければ、それで良いのだろうか
俺は服を脱いだまま半裸で居るつもりだが、問題無いのだろうか
「まぁそうしてもらえると俺も助かるけど……」
待ってもらっているのも悪いので早速服を脱ぐことにする
「ふぅ」
上を脱ぐだけで、肌が服に張り付く感じが無くなりすっきりした
本当は水を浴びたいところだが、このような牢屋ではそうもいかない
たまに吹き込んでくる風がとても涼しく感じる
「ん?」
首から石の様なものを提げている事に気付いた
何故今まで気付かなかったのか
楕円形の厚みのある赤い石、上の部分に穴を空けて紐が通してある
(この石……どこかで見たことがある)
片手でぎゅっと握ってみると、ひんやりとした感触とその丸みで心が落ち着く
(これが俺の思い出の品なのかな……)
思い出せない過去の記憶、それを解く鍵となるのかもしれない
そんな事を思っていると
「まだ?」
壁との睨めっこが飽きてきたのか、沙羅がそう尋ねてきた
(そうだった、服脱ぐのを待っているんだっけ)
とりあえず服を脱いで風にも当たっていたので、さっきよりもすっきりしている
(下は…………脱ぐ必要はないか)
「沙……」
声をかけようとするのを止め、壁の方を向いている少女を観察する事にする
座れば良いのに、何故か立ったままの少女
壁から半歩の所で、その壁をじーっと凝視しているようだ
異様である
「シン……もう、そっち向いても良い?」
壁の方を向いたまま、こちらに尋ねてくる少女
少し悪戯心が湧いた
「……もう少し待って、下も脱ぐから」
何気なく、本当に何気なくだがそんな嘘をついてみた
すると沙羅は焦ったように振り返り
「やっぱりヘンタイさんだったのね! 下は脱がないで!」
慌てながらそう叫びつつ、俺を見つめてくる
「ちょ……ぇ……ぁ……」
「まぁ嘘だけども、俺のことをまたヘンタイサンって言ったな……
というかヘンタイサンはそういうことをする人ってことか」
言葉の意味を少し理解して軽く鬱が入ったが気にしないことにする
そうして、振り返った沙羅を見てみると、何故か頬が紅潮している
見慣れない男の上半身の裸を見て恥ずかしがっているのか
頬を染め、こちらを見ないよう俯きがちになりながら彼女は俺に問うてくる
「シン、あの……、何で裸?」
「いや、ほら。着替えが無いから」
「脱いだ服着れば良いよ」
「これ着たらまたベトベトするじゃないか、そんなのは嫌だ」
「私だって男の人のハダカ見続けるのは嫌だよ!」
「そんな……こんなに良い体なのに」
「馬鹿!」
結局、俺は服が乾くまで、牢屋の隅で壁と睨めっこすることになった
先ほどの一件のせいで気まずい空気が流れている
黙り込んでいる沙羅を見ると、服を脱がない方が良かったのかなと後悔の念がふつふつと湧き上がる
しかし、しばらくすると沙羅がこちらをチラチラと盗み見ては、ウーンと唸っているのに気付いた
何か気になることでもあるのだろうか
その様子を観察しているのも面白かったが、どうも気になりすぎて苦しそうだ
仕方ないので、こちらから助け船を出す事にする
「沙羅、何か聞きたいことあるの?」
体は壁の方向を向いたまま首だけ動かして尋ねる
するとハッと驚いたようにこちらを見る沙羅
何で私が考えている事が分かるのだと言いたげな顔である
「その石……」
沙羅はこちらを指差しながら聞いてきた
確かに首からこんな石を提げていたら誰だって気になるだろう
実際これが何なのかは分からないが、一応説明しておく
「良く分からないけど俺の思い出の品なんじゃないか……
きっと過去の記憶の鍵になっているんだと思う」
ふんふんと頷く沙羅だったが、どうもまだ気になっているらしい
こっちに近寄って手を差し伸べてきた
「ちょっと見して」
「はい」
まぁ見せるだけならと思い、首から紐を外してその手の上に石を載せてあげる
「ふんふん……」
載せられた石を見て興味津々な沙羅
俺の半裸なんか気にしていないようだ
というより意識が完全に石の方に集中しているらしい
手の上でコロコロ転がしたり、灯りに透かしてみたりしている
散々弄くりまわした挙句
「赤くて丸いだけの石……」
ぼそりと呟いた
「まぁ否定は出来ないけども……」
「これ光ってたの」
「ん?」
そう言いながら沙羅は石を返してくれた
この石が光っていた?
確かに普通の石とは明らかに違う
誰かによって手を加えられているのは確実だ
赤いし丸みを帯びていて、よく見てみれば多少だが透明感もある
「光ってたって、いつ頃光ってたんだ?」
「シンが死にそうだった時」
愕然とした
そうだ、そうだった
俺はついさっきまで死にそうだったんだ
「何で、俺は生きているんだ……あんなに痛くて、死にそうだったのに……」
あれほどの痛み、死んだ方が良いと思えるほどの痛みが今では何ともない
「あんなに痛かったのに!あの痛みは沙羅が治してくれたのか!?」
つい声を荒げてしまい沙羅は少し驚いて身を引いた
いけない、冷静にならなければ
「驚かせてしまいすまない……えっと、沙羅があの痛みを直してくれたのか?」
今度は落ち着いて聞いてみる
フルフルと横に首を振る少女
「私はシンが苦しそうだったから体をさすっていただけ、そしたらシンの胸の辺りが光り出したの
多分、この石が光ってたんじゃないかな?」
石の放つ光で傷が回復するなんて作り話の様であるが
事実、痛みが引いているのであるからそれを認めざるをえない
「沙羅自身にはそういう能力は無いのか?」
ふと気になってそう聞いてみた
予言が出来るというのだから、その他に不思議な力を持っていてもおかしい話ではない
すると沙羅はウーンと考える仕草をし、
「回復の能力は……無いとも言い切れないし、ほんの少しだけならあるかもしれない……」
「なるほど、この石は特別な力を持っているのかもしれないな
何にしろ大事にしておこう」
赤石の首飾りを首に回して、しっかりと紐を締めた
石自体を服の内側に入れておけば大丈夫だろう
「そしたら沙羅は俺の命の恩人だな、死にそうな俺を助けてくれたわけだし」
そう言うと沙羅は頬を染めつつ
「あの時は私も必死だったから……」
と呟く
俺を助けるために必死になってくれたのかと思うと、少し恥ずかしい気持ちだ
「それに……」
「ん?……それに?」
「近くで人に死なれたらすごく嫌だし……」
「……確かに、そうだな」
もっともな話だった
そうこうしているうちに日が暮れたらしい
途中夕飯を運びにきた番人が、元気になっている俺を見て驚いて逃げていったが
律儀に夕飯だけは置いていったので何の問題も無い
(とりあえずここからどうやって抜け出すかが今後の方針になりそうだな)
一人分の食事を二人で分けて沙羅と一緒に食べながらそう考えていた。
塩味の効いた飯を握ったオニギリという食べ物らしい、シンプルな料理だがこれは美味かった
タクアンと呼ばれる野菜の漬物もオニギリに合うよう程良く味付けされている
これはポリポリとした食感がくせになりそうだ。
沙羅に聞いたところ食事は一日に三食
朝は漬物とオニギリ、昼はオニギリだけ、夜は先ほどのタクアンとオニギリらしい
三食すべてオニギリというのはどうなのだろうか
「毎日こればかりで飽きないのか?」
「たまに中に色々入ってるから飽きないよ?」
沙羅は白米が好きなのだろう
喉が渇いたときは、呼べばお茶を持って来てくれるらしい
どうやら閉じ込められているという以外で、沙羅の扱いはそれほど酷いものではないようだ
何故閉じ込められているのか気になる所ではあるが、まぁ後で聞いてみよう
夕飯を食べ終わると沙羅は寝る準備をし始める、
といってもただ壁にもたれかかっただけなのだが
「俺はどこら辺で寝れば良いかな?」
「そっち」
と指を指すのは鉄格子の辺り、まぁ離れて居れば良いというわけか
先程よりだいぶ暗くなっているので沙羅の顔すらぼんやりとしか見えない
四つん這いになり手探りで鉄格子を目指した
ひんやりとした鉄の感触に触れたところで仰向けになる
自分が何者だか分からないと言うのに、今ではこんなにも落ち着いている
言葉では表せない不思議な感覚が脳内を支配している気がするのだ
そんなことを考えていると嫌になってきたので、目を閉じて思考を中断
色々なことで疲れていたのか、目を閉じるとすぐに眠気が訪れ意識が沈んでいった……
朝
牢の中の壁で唯一空いた換気用の穴から、朝日が差し込み目が覚める
「うぅ……眩し」
体、特に肩の辺りが少し痛い
固い床で寝たせいだろうか
上半身だけ体を起こし肩をクルクルと回して筋肉をほぐす
軽く伸びをすると自然とアクビが出た
「ふぁぁ……」
「おはよ、シン」
声がした方向を見ると、だいぶ前に起きていたと思われる沙羅
立ち上がって腕を広げたり、ヒザを曲げたりと変な動きをしていた
まだ完全に開ききらない目をこすりながら挨拶を返す
「おはよう、沙羅……えっと……それは何かを呼び寄せる儀式か?」
そう問われた彼女は少し頬を膨らませながら反論してきた
「違うよ、運動……朝の運動をしてるのっ!」
体を反らせながらそう言う姿は、傍から見ると馬鹿っぽいがどこか楽しそうに思えた
「運動しないと体が鈍っちゃうから」
「へぇ……」
自分も立ち上がって彼女の動きを真似てみる
動きには一定の拍子があるらしく、
それに合わせて体を動かしていると、半分眠っていた脳もシャキッとする気がした
一通り運動を終えた沙羅は床にペタンと座り込む
汗ばんだ体を乾かそうと、スカート状の裾をパタパタして服の中に風を送り込もうとしているようだ
「……ちょっと沙羅さん」
「ん?」
彼女の服は上下が繋がり、頭からスッポリ被って着るものだ
だから、服をパタパタしたりなんかすると
下着からヘソまでチラチラ見えたり見えなかったりするわけだ
――ゴクリ
(待て待て待て、何だゴクリって)
何故見ているこちらが恥ずかしがっているのだ
「何、シン?」
そんな男の心情を知らずに無垢な瞳で俺を見つめて、まだパタパタやっている沙羅
自分の身体上の様々な理由のためにも、視線を逸らすことにした
「いや、何でもない……静まれ、静まれ俺自身……!!」
「変なの」
気を取り直して、ここから脱出するため牢内を探ってみることにした
まずは換気用の穴、光が差し込んでくるのだから、外と繋がっていると思われる
しかし、それは人の頭一個分の大きさしかなく、更には鉄製の格子がはめ込まれていた
また跳躍するくらいでは届かない位置にあり、あの穴から出るのは不可能だ
次に牢屋の鉄格子、一本の太さが俺の指二本分くらいか
拳一個分くらいの間隔で、均等に配置されている
左端だけ特別な造りで開閉可能になっているが、頑丈そうなゴツイ鍵がついている
これは簡単には開きそうにないな、昨日晩飯を運んできた番人が鍵を持っているかもしれない
そんな事を考えてブツブツ独り言を呟いていると、沙羅が話しかけてきた
「もうすぐ朝ごはんが来ると思うの」
楽しそうに呟く彼女を見てふと考える
いくら朝昼晩三食の飯が出るといっても、こんな牢屋に閉じ込められて……
そもそも何故彼女は牢屋に閉じ込められているのだろう
「沙羅は、どうしてここに閉じ込められてるの?」
すると楽しそうだった彼女の表情が暗く沈んだものになる
「……」
そうして黙ってしまう沙羅
(しまった……この話題は)
「あ、別に言いたくないならそれで良」
「私生け贄なの」
彼女は、俺の言葉を遮るように呟いた
「生け贄……?」
「村の掟
この村では特殊な能力を持つ人間を毎年、領主様に預けるの
領主様はその生け贄を神に献上することで、この国に加護をもたらしているんだって……」
村の掟について淡々と喋る沙羅
「そんな……
じゃあここに居続けたら沙羅は生け贄として捧げられる……のか?」
「……母様も前の年に生け贄として捧げられていった……
だから私もその役目を果たさなきゃいけない……
母様の死を無駄にしないためにも……」
目を潤ませながら語り続ける沙羅
「本当はね、母様は本当の母様じゃないの、だから私には力が無かった
それに母様は、私が生け贄にならないようにって力の伝承を拒んだの
でも私は例え血が通ってなくても、母様の力を受け継ぎたかった
そんな私に泣きながら伝承してくれた……この力は母様の形見……」
「沙羅、ここから逃げよう……!
沙羅の母さんだって沙羅に生け贄にはなってほしくはないって思ってたんだから!!」
そんなの許せない
一人を犠牲にして、国に加護をもたらすなんて考えは馬鹿げている
「駄目……
たとえ私がここから逃げ出しても他の誰かが犠牲になるだけ
他の人を犠牲にしてまで、助かりたくは無いの……」
「……」
俺は言うべき言葉も見つからずに口を噤んだ
そうして二人とも黙ってしまい、牢内に静かな空気が流れた
どれほど時間が経っただろうか
しばらくすると番人が朝飯を運ぶためにやってきた
「ほれ、朝飯だ。二人分持ってきてやったから、仲良く食えな」
差し出されたのは、オニギリ4つと漬物が少量乗った皿
それをぼーっと眺める俺と沙羅
「ん?何だ辛気臭い顔をして……
まったくあんなに死にそうだったのに生き返るとはな
村じゃあ死人が生き返っただのと噂になってやがる
まぁ、生きていられたことを神様に感謝するんだな」
皿を受け取ると番人の男は去っていった
「神に感謝、か……」
沙羅の事情を知り、複雑な気持ちだ
腹が減っていたので、早速運ばれてきたオニギリをもそもそと食べ始めた
「ん」
昨日とは違い、このオニギリには中身が入っているようだ
握られたご飯の中には赤くて酸っぱい物が詰まっている
「何だコレ、酸っぺ……」
思わず顔をしかめながら、今度は漬物をつまむ
それを見ていた沙羅は、ハッと気付いたようにオニギリを一つ手に取った
俺は漬物をシャクシャク食べながらゆっくりと二個目のオニギリを手に取る
この漬物の絶妙な塩加減がたまらない
オニギリと漬物、本当に良い組み合わせだ
これなら沙羅が言うように毎日でも飽きないかもしれないな
オニギリを手に取った沙羅は、それを半分に割って中をじぃーっと見つめる
そして残っていたもう一つのオニギリを同じように割って見つめ、ガクリと肩を落とした
「それ中身何?」
うなだれながら呻くように呟く沙羅
「中身……?何だろう」
もしゃっと一口食べて確認してみる
「ああぁう!!!食べちゃ駄目!!」
「食べちゃ駄目って、食べなきゃ分からないじゃんか
さっきと同じ赤い何かだな、酸っぱい味の」
「半分に割れば良いじゃない……」
沙羅はこちらの持ってるオニギリを睨むように見ている
凄く不機嫌そうだ……
「あ、あぁ。沙羅はこの中の赤い物が好きなのか」
「うん、梅干って言うんだけど酸っぱくて美味しいの」
「じゃあほら、これあげるよ」
手に持っていたオニギリを差し出すと
「……シンって最低だね」
そう言ってぷいっとそっぽを向いてしまう沙羅
少し冷静になって考えてみることにしよう
「……ふむ」
(そうか、これって間接的に口づけになる、食べちゃ駄目ってそういうことか……)
(そうだな、沙羅みたいな年頃の女の子、男が一口食べたオニギリなんか食べないよな……)
我ながら軽率すぎる言動に反省しながら、じーっと一口食べてしまったオニギリを見つめる
「それじゃあ私が食べる分が少なくなるじゃん……」
そっぽを向きながら床にのの字を書く沙羅は、ちょっとだけ振り向きながら呟いた
「はい?」
「シンが一口食べたオニギリは一口分減ってるでしょっ!
もう、そんな事も考えられないなんて……最低よぉ……」
今度は涙目で床をバシバシ叩きながら訴えてきた……
そこか
そこが問題だったのか
「……じゃあさ、沙羅が半分に割ったオニギリ一口食べなよ
んで、このウメボシのオニギリと交換すれば良いんじゃないか?」
ぱぁーっと明るくなった沙羅の顔は、俺を尊敬するような眼差しで見つめてる
「シンって頭良いんだねっ!」
ウンウンと激しく納得しながら
「そっか、私がコレを一口食べれば良いんだ」
半分に割ったオニギリをくっつけて一口食べる沙羅
――ガブリッ
「そうそう、一口……
沙羅……?」
彼女が一口食べるとオニギリ自体が一口の大きさになった
だが、口いっぱいにオニギリを頬張りながらニコニコしてる沙羅を見ていると何も言えない
「……モシャモシャ
ふぁぃ、ひょりぇ……」
頬張りすぎてしっかり喋れてない
ほんの少し残ったオニギリを差し出す沙羅
「沙羅……もう良いから、全部食べて良いから
落ち着いて食べろ?な?」
沙羅はキラキラ目を光らせて嬉しそうにウンウン頷く
「ありぁとぉ、ひんっ!」
お礼を言って一口大の大きさのオニギリのかけらを口に詰め込む
「分かった、分かったから食べながら喋っちゃ駄目だ沙羅……」
そう言い聞かせ、俺は仕方なく漬物をシャクシャク食べる
あっという間に三つのオニギリをぺロリと食べてしまった少女は
満足そうな顔で足を上下させパタパタしてる
「お腹いっぱいだよー」
パタパタ♪
…………チラ……チラチラッ
パタパタ♪
……チラッチラリ
「勘弁してくれ……
嗚呼、落ち着けって俺自身……」
モゾモゾしながら独り言を言う俺の姿は、傍から見たら大変情けないものなのだろう
「ん?」
足をパタパタさせながらこちらを不思議そうに見る沙羅
彼女はまだ気付かない、というか気付く日は来るのか……
朝飯を食べ終わり一息ついた俺
オニギリ一個分の物足りなさを感じながら、牢からの脱出方法について考えていた
(つまり、このままココに居たら沙羅も俺も殺されるって事だよな……
沙羅はココから出たくないって言っていたけど、出来ることなら死にたくはないだろう)
よしっと勢いを付けて立ち上がる
このような所では何処かに隠された扉などがあるものだと記憶が訴えてくる
壁をペタペタ触りながら、たまに拳でコツコツ叩いたりしてその音の違いを確かめる
そんな俺の姿を訝しげに見つめながら、沙羅はため息を吐く
「無駄、この牢は今までの生け贄が何人も閉じ込められてきた牢なの
誰一人としてココから抜け出した者は居ないって村長が誇らしげに言ってたし……」
「いや、何かあるはずだ……」
俺はそう信じ続けて周囲の壁をくまなく調べた
…………
もう何時間経っただろうか
時間の経過を忘れるほどに作業に没頭していた
こうして手が届く範囲の壁は全て探しつくしてしまったが何も無い
「少しくらい遊び心を持って牢屋を造れば良いのに……」
ブツブツ愚痴を言いながら今度は床を調べる
耳を澄ませながら床を叩いて進む
コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ
コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ
コツコツコツコツカツコツコツコツコツコツ
「ん?」
一箇所だけ音が違う所があったような気がして、振り返りまた叩いてみる
コツコツカツコツ
「ここだ」
「何が?」
「ここだけ音が違う、乾いた音がするんだ」
カツカツ
何度も床を叩き確認する、やはり他の床とは明らかに音が違う
「あ、そこは……」
「ここに空洞があるはずだっ!!」
確信した俺はその音が違う床に思い切り拳を叩きつける
――バキッ!!
激痛と共に床が割れた様な手ごたえがあった、骨が折れてなければ良いが
「痛ぅ……、でもやっぱり空洞があったみたいだな……
こんなに簡単に床が割れるなんて思わなかったけど」
「……あらら」
他の床は厚い石がはめ込まれているにも関わらず、この床だけはかなり薄い素材で出来ている
「どれどれ……何だコレ?」
空いた床の中を覗くと……黒く変色した何かが見える
「それ触らない方が良いよ」
「え?沙羅、コレが何か知ってるの?」
「ナスの漬物……」
「ナスの漬物?」
「うん」
「何故ナスの漬物がこんな所に……
一体誰が、何のために……」
「その穴は母様が空けたの、嫌いな物を埋めるようにって
私、たまに朝ごはんに出てくるナスの漬物が嫌いだから、その秘密の穴に埋めてるの」
「埋めてるって、こんなとこに埋めてあったら腐るじゃないか……」
既に黒く変色している所を見ると、だいぶ前に埋めたもののようだ
それにすごく臭い……
「シン、早く、フタをして。牢屋が臭くなっちゃうからっ!」
「……あぁそうしよう」
「オイッ、お前ら何をしているっ!」
そんなやり取りをしている時に、運悪く昼飯を持ってきた番人がやってきた
「ありがたいナスの漬物を残すとはっ!!お前ら二人とも、罰として昼・晩と飯抜きだっ!!
しかも牢屋の床に穴を空けるとは……不届き者共め……」
番人はブツクサ言いながらせっかく持ってきた昼飯を持って帰ってしまった
「……」
「……」
―――ぐぅ
さきほどから空腹に耐えかねたお腹が悲鳴をあげている
「お腹空いたね」
「あぁ、空いたな」
「シンが秘密の穴を見つけるから……シンが悪いんだ」
「沙羅がナスの漬物を残すからだろ、食べ物を粗末にする奴が悪い……」
「結局どっちも悪いってこと……」
「そうだな……」
空腹に耐えるために寝転がる沙羅、俺もそれを真似てゴロゴロと転がる
―――ぐぅ
「お腹空いたな……」
「うん、空いたね……」
すーすー
「すかー、ぐ、……ん?」
気が付けば夕方になっていた
「あぁ……寝ちゃってたか」
換気口からは夕日が差し込み、牢屋の中を染める
隣ではすーすーという沙羅の静かな寝息、彼女はまだ眠っているらしい
「うーんうーん……えうぼのーち……」
時折意味不明な言葉を吐きながら
お腹の辺りを抑えて唸るのは極限にお腹が空いているせいだろう
あまりの空腹に体が耐えかね、無理にでも寝ることで空腹を耐えている感じがする
俺も沙羅ほど大喰らいではないが、
昼飯はともかくとして、晩飯まで抜かれるとなると正直辛い
「くそぅ……
飯抜きの罰がこれほど苦痛なものだとは……」
起きているとお腹が空くので仕方なくもう一度寝ることにしよう
飯が来る明日の朝までずっと寝てしまえば空腹など恐れるものではない
ゴロリと横になると、差し込む夕日が全身を染める
隣の沙羅を見ると、まだ気持ち良さそうにすやすや寝ている
こうして見ると大人しそうな可愛い寝顔だ
―――ぐぅ
早く寝てしまえとばかりにお腹が抗議をしている
(餓死する時ってどんな気持ちなんだろう……)
我ながら物騒なことを考えてるなと思いつつ目を閉じた
「嫌ぁ!」
―――ビクッ
「オニギリにナスの漬物を入れる位なら、この世なんて滅んでしまえば良いのよっ!!」
突然起き上がってそう叫ぶ沙羅
顔には冷や汗を浮かべ、ゼィゼィと荒い息を吐きながら泣きそうな顔でこちらを睨んでいる
「さ、沙羅どうした?」
急に叫ばれて正直驚いた、まだ心臓がバクバクと鳴っている
沙羅は手で汗を拭いながら語りだす
「……悪夢を見たの
番人がオニギリにナスの漬物を詰め込む夢
なんて恐ろしい……」
夢に出るほど沙羅がナス嫌いなのを素直に可哀相だと思った
「沙羅……今度ナスの漬物が出たら食べてあげるから
安心して寝ろよ、な?」
「ありがとう……シン」
感謝の言葉を述べると、沙羅は横になってマブタを閉じ、またスヤスヤと寝息を立て始めた
俺も気を取り直してゴロリと横になり目を閉じた
―――グキュルルルゥ
「ぬぅ…………」
朝、自然と目が覚めてしまった……というか
ほとんど寝た憶えが無い、ひたすら目を閉じて耐えていたらいつの間にか朝日が昇っていた
腹が減っているとなかなか眠れないということを学ぶ
目を閉じて寝ようとするがどうしても意識がお腹にいってしまうのだ
「沙羅は……と、よく寝られるな……」
この前とは違い、今日は俺の方が早く起きたらしい
沙羅はまだスヤスヤと眠っている、お腹を押さえながら
昨日やった朝の体操をしようと思い立ち上がったが、すぐに座りなおした
これ以上動くと本当に餓死するのではないだろうか
たった二食抜いただけなのに、これからはどんな食べ物でも大切にしようと心から思う
「まぁ腐った奴はさすがに駄目だけど……」
この果てしない空腹の原因となった秘密の穴を見つめポツリと呟く
「結局、ココからは出れないのかな……沙羅も俺も……」
そうして俺は仕方なく朝飯が来るまで、ひざを抱えて待つ事にする
―――グゥゥゥギュルルルル
これで何回目だろうか
もう限界だ、早く何か食わせろと訴えるようにお腹が鳴る
「腹が……減った、もう……死ぬかもしれない」
「ん、んぅ……」
沙羅が目を覚ましたようだ
「おはよう沙羅、大丈夫か?生きてるかぁー?」
目は開けているようだが、全く動く気配が無いので声をかけてみる
「おはよぉ……
ぅぅぅ……シン、お腹空いたよぉ」
泣きそうな顔のまま起き上がってくる
「そうだな……俺はもう限界だ」
「今ならナスの漬物が食べられるかもしれない……」
そう呟いた沙羅は虚ろな目であの床を見つめている
そしてフラァッと立ち上がった思うと
エヘエヘヘと危険な声を発しながら床に近付いていく沙羅
「止めておけって
いくらなんでも腐ったものはお腹が空いてたって食べられないから」
放っておくと本当に食べそうなので、念のため手で制しながら警告をしておく
「ひもじいよぉ……ナス……ナスでも良いから……」
今にもナスの漬け物に食らいかかっていきそうな目が怖い
「朝飯まだかー」
「……」
「沙羅、どうした?」
沙羅がうつむいて黙ってしまった、どうやら喋るのも嫌になったらしい
その後、飯、飯と叫び続けていると
待ちわびていた朝飯、もとい朝飯を持った番人がやって来た
「お前らー、朝飯だぞ」
「沙羅、飯だ!!飯がやってきたっ!」
「……えへ、えへへへへ」
彼女はまるで獲物を狙う熊のように、目を光らせてオニギリを見つめている
「沙羅、目が怖い……目が怖いよ」
「……あー、昨日は飯抜きにしちまってすまんかったな
今朝は腹が減っているだろうから、一人三つのオニギリだ」
そういうと男はオニギリが六つ乗った皿を差し出してきた
しかも今日は漬け物が何種類か乗っていて見た目にも華やかだ
「お前らの飯を抜きにしたって言ったらカミさんに怒られてよ
年頃の子供に食べ物与えないなんて何考えてんだって……
まぁ、だからよ……これは俺からのお詫びだと思ってくれ」
「ありがとうございます、奥さんにもお礼を伝えておいてください」
「んじゃ仲良く食えよ」
頭を掻いて照れたような仕草をしながら番人は去っていった
物凄い勢いでオニギリを手に取りかぶりつく沙羅
一口食べた所で幸せそうな表情を浮かべる
「生き返る~♪」
「今日は中身を確認しなくて良いのか?」
「良い、早く食べるの」
そう言うとまたもしゃもしゃと食べ始め、あっという間に一つ食べきってしまった
このままだと俺の分まで食べられそうなので、早く食べる事にしよう
オニギリにかぶりつこうとした所に番人が戻ってきた
「いけねぇ、いけねぇ忘れていた……お前に伝える事があったんだ」
お腹が空き過ぎて我慢することも出来ないので、オニギリを一つ口に含めてから返事をする
「あんでふか?もぐもぐ」
「今日、ここにお偉いさんが尋ねてくるらしい。お前に用があるらしいぞ?」
「もぐ、ゴクン……
誰なんですかそのお偉いさんって?」
「何でもここら辺一帯の土地の権力者で有名な爺さんらしい
そういう訳だから、まぁ失礼の無いようにって伝えておきたかっただけだ」
権力者の爺さんが俺に何の用だ
もしかすると俺の過去を知っていたりするのだろうか
「まぁ瀕死だったお前が生き返ったことは村中で噂になってるからな
物珍しさだけで見に来るのかもしれねぇな……」
「あぁ、そうかそんな噂が立っているんだったっけ、ふむ……」
村に俺のことが知れ渡っているっていうのは、これからのことを考えるとかなり厄介なことだ
顔が知られていないことだけが幸いか
「んじゃ俺はもう行くから」
番人は手を挙げて遠ざかっていく
「権力者ねぇ、ついでにこの牢屋から出してくれねぇかな
なぁ……沙羅?うぉっ!?」
振り向くといつの間にかお皿に乗っているオニギリは一つだけ
「最後の一つ貰ったぁぁぁぁ―――!!!」
その最後の一つ目がけて華奢な手が矢の如く鋭い勢いで伸びる
―――プツッ
俺の頭の中で何かが切れた感覚
俺の意識外で俺の手が動いたのを感じる
自分でも自分の手が見えなかった
不可視の速度、これは人間の為せる業ではなかった
そしていつの間にか俺の手の中にはオニギリが一つ、腕がシューシューと煙をあげている
「シ、シン……」
「……な、何だ今のは?」
呆然と俺の手を見る沙羅、驚いたという表情
俺だって驚いている、こんなことが出来るとは思ってもいなかった
「…………シン」
フルフルと震えながら俺の手を睨んで沙羅が呟く
「返してよっ、私のオニギリッ!!」
「―――な!?」
彼女は俺の手を見ていたのではなく、俺の手が持つオニギリを見ていたようだ
「それは私のオニギリよ、私がさっき食べたのがシンのオニギリなのっ!!
だからそれ返してよっ」
「沙羅……お前それ、言ってることおかしいから」
彼女の言うことなど無視して、問答無用でオニギリを口に放り込んだ
―――モグモグ、ゴクン
「美味い」
一口で食べてニカッと笑い素直に感想を述べると、彼女は不服そうな目でこちらを見ている
不服なのはむしろこちらなのだが
「俺の分まで食べたんだろ?十分じゃないか」
「ぷいっ」
沙羅はそっぽを向いてご機嫌斜めな様子で漬け物を食べている
漬け物の乗った皿を完全に抱えてしまっているので、俺は手出しが出来なくなった
「まぁそんなことは置いておいてだな、さっきの俺の力は一体……?」
「人って誰でもそういう力を持っているものだって母様は言ってたよ?
気付かないだけで、シンにも凄い力が隠されているのかもね」
彼女は気機に陥った時とか、ひょんなことからその力が解放されることもあるんだとも言った
何しろ過去の記憶が無いのだ
自分にそんな力が秘められていても何ら不思議なことではないのかもしれない……
朝飯を食べ終えた後
結局、沙羅は満足したのかゴロンと横になり寝始めてしまった
「むにゃむにゃ、お腹一杯だよぉ……」
「当たり前だ、俺の分のオニギリと漬け物全部食いやがって……」
沙羅の寝言に相づちがてら文句を言ってやる
しかし、今日は良い天気で牢屋内が暖かい、食後ということもあり眠くなるのも当然か
「ふぁぁああ……ねみぃ」
そんな感じでしばらくボーっとしているといつの間にか寝てしまっていた
―――カツンカツン
「ん……ぁあ」
聞きなれない足音が近付いてくる、いつもの番人の足音とは明らかに違う音
「いよいよ偉い爺さんの登場って所か?」
その権力者の偉い爺さんてのが、俺に用があるということで、何となく緊張してしまう
―――カツン
そして、そこに現れたのは白髪の老人
たくわえたあごひげ、眉は白く、パッと見ると仙人か何かかと間違えるような風貌だ
白い眉に隠れた目は線の様に細く目立ちにくい
その目がゆっくりと開かれギロリとこちらを睨みつける
―――ゾクッ
背筋に悪寒が走るほどの威圧感
まるで獲物を品定めする鷹のような目、その目に睨まれただけで動けないほどに威圧される
「……」
言葉が出ない
そして老人はこちらを睨むのを止め、寝ている少女に向かって声をかけた
「沙羅ちゃーん、元気かのぅ?」
先ほどの表情からは想像できない拍子抜けするような優しい声
その老人の声を聞きムクッと起き上がる沙羅
「出水のお爺ちゃん?」
トテトテと檻の方に近付き、わぁと嬉しそうな声をあげる
「お爺ちゃん久しぶりー、元気、元気だよー?お爺ちゃんは?」
「わしゃちょいと今朝から腹が痛くてな
悪いもんでも食ったかのぅ……蛙にでもあたったか……」
昔からの知り合いの様に楽しげに話す二人
「沙羅……この人と知り合いなのか?」
「うん、出水さんって言って母様のお友達だった人、よくウチに遊びに来てたんだよ」
「へぇ、それで、俺に何の用ですか?」
「うむ、まずは自己紹介じゃな、わしは出水荘子(いずみそうし)
もう知ってるかもしれんが、この土地一帯の偉い人という事になっておる
で、お前さんの名前を教えてもらって良いかの?」
「俺の名前は真、上の名前は……明宮らしいです」
沙羅からはいつもシンと呼ばれ下の名前には慣れたものの上の名前にはまだ違和感がある
そのため、らしいです、と他人事のように言ってしまった
「ふむ、過去の記憶が無いんじゃな?
それで、沙羅ちゃんの予言で名前だけ知ったという所か……」
懐かしい知り合いに会えて嬉しそうな沙羅を見ながら呟く爺さん
俺はコクコクと頷いてみせた
「うぅむ、まぁ過去の記憶は関係ないかのぅ……
よし、んじゃ真、こっから出るんじゃ」
そう言うと爺さんは鍵をカチャカチャいわせ開けてしまった
「……えっ、おいっ、爺さん!!」
爺さんの突飛な行動におもわず叫んでしまう
―――ガツッ
瞬間、爺さんが目の前から消えたかと思うと俺の意識はそこで絶たれた
少し前のこと
わし、出水荘子は村の門番共からある噂を聞いていた
その噂によると、牢屋に閉じ込められていた瀕死の少年が生き返ったらしい
そんな特殊な能力を持った人間が居るのだろうか
確かに一緒に牢に閉じ込められている沙羅に回復の能力はあるが、蘇生までさせる様なものではないはずだ
久しぶりに沙羅にも会いたかったので様子を見に牢屋にでも行ってみるとするか
海岸沿いの森に作られた入口
湿った雰囲気の階段を降りていくとそこが牢屋だ
この国では毎年一人ずつ国に加護をもたらすために生け贄が差し出される
対象となるのは特殊な能力を持った女性、彼女達を閉じ込めておくのがこの牢屋なのだ
去年は自分の友人が、そして今年はその娘である沙羅が選ばれた
国に加護をもたらすため……
昔の国はそんな事をしなくても十分平和であった、前の領主とその妻が事故で死ぬまでは
あれからだ、あの時から国が狂い出した
領主には沙羅くらいの年齢の女の子しか子供が居なく、若くして亡くなった
父親の代わりにその娘が領主となった
その年から村の掟に生け贄を差し出すという項目が追加されたのだ
「何か裏があるはずじゃ……」
これ以上、生け贄を差し出せというふざけた命令のせいで大切な者を失いたくはない
―――カツンカツンカツン
考え事をしながら進んでいると、いつの間にか牢屋の前に立っていた
牢屋の中には少年と……端っこで寝ている沙羅が居る
考え事をしていたせいで、ついつい目の前に居る少年を睨んでしまう
(こいつが噂の少年じゃな……
男と女がこのような牢屋の中で一緒に居るとは……けしからんのぅ)
そんなことを考えると少年を睨む目にも殺気がこもる
(まぁ、今は良しとしようかの)
端っこで寝ている沙羅に声をかける
「沙羅ちゃーん、元気かのぅ?」
優しいお爺ちゃんの印象を崩さぬように明るい声をかける
むくりと起き上がってトテトテ歩いてくる沙羅を見て嬉しく思った
沙羅と軽い挨拶をした後、少年の話を聞く
彼の名前は明宮真、過去の記憶を失っているらしい
過去の記憶が無いのは少し心許ないが、今のところ支障は出ないだろう
(とりあえずこの少年には牢屋から出てもらうことにするかのぅ)
「うぅむ、まぁ過去の記憶は関係ないかのぅ……
よし、んじゃ真、こっから出るんじゃ」
そう言って番人から預かった鍵で牢屋の扉を開ける
「……おいっ、爺さん!!」
―――ピクッ
見えぬ速さで動き少年に歩み寄る
―――ガツッ
―――ズブブッ
首への手刀で気を失わせて、かがむ少年のみぞおちに一発見舞い計二発
移動も含めまばたき一回分の時間もかからない
「あちゃぁ……」
いつの間にか気絶している少年を目の前にしてため息をつく
「やってしもうたか……
騒ぐといかんから気絶させようとは思っていたが、みぞおちの一撃は余計だったかの……」
爺さんという単語に我を忘れてしまうのは自分の悪いクセだとつくづく思う
泡を吹きながら痙攣している少年をよいこらせと担ぐと、沙羅が不安そうな目でこちらを見ているのに気付いた
「心配しなくても大丈夫じゃ、こいつはまた沙羅ちゃんに会いに来るだろうからのぅ」
「え……」
「もう少しの辛抱じゃ、予言が正しければこの国の民も、沙羅ちゃんも皆助かる
わしは信じておるぞ……」
「うん」
それじゃと手を挙げて牢屋の扉を閉め、階段をあがっていく
明るい顔で別れを告げたはずの沙羅
少女の泣く声が牢屋に響く
「う、うぅん」
目が覚めると牢屋とは別の場所に寝かされていることに気付いた
「な、何だったんだ?」
確か、爺さんが牢屋の扉を開けて……消えたと思ったら腹に衝撃が来たような
―――ズキッ
「痛ぅ……、あの爺さん何て力だ、アザになってやがる」
服をめくって殴られた部分を見てみると青くアザになっていた、さっきからズキズキ痛いはずだ
「とりあえず、ココは……何処だ?」
痛みを和らげるように腹を手で揉みしだきながら自身の置かれた場所を観察してみる
まずは白い壁、真っ白というよりは少しくすんだ色
背の高さ程にある木製の小さな枠に紙が張られたものがはめ込まれ
すり抜けた陽が差し込み部屋全体を明るく照らしている
壁際には飾り気のないシンプルな三段組の棚
自然の雰囲気が出てるとでもいうのだろうか
木目を活かして塗装は一切施されてない
しかし、この触り心地は素晴らしい、ツルツルしている。これ程磨くのには余程根気が要りそうだ
棚の下段には分厚い本が何冊か並んでいる。植物関連の本のようだ
中段には口の開いた箱、中には装飾品か何かだろうか、髪飾りのような物がいくつか入っている
そして上段には、灯りを灯すための装置が置いてあった
俺が寝かされていたのはその棚から一歩程の所にあるこのふかふかな布団
花の良い香りがして気分が落ち着く、香水でも染み込ませてあるのだろうか
「ふぃ~」
部屋を一通り観察し終えた俺は、もう一度布団に潜り込みゴロゴロ
気持ち良い気分になっていたがそんな場合ではないことに気付く
「とりあえず、ここが何処だか分からない事には……」
まずは誰かに会って話を聞くことにしよう
いや、下手に動きまわると不審だろうか?いやいや、こんな部屋で寝ていた方が不審だ……きっと
そう結論付け布団から這い出る
部屋の出口らしい引き戸の前に立ったところでふと思う
「待てよ、もし知らない人に会ったらどうすれば良いんだ?」
運が悪ければ盗人か変人扱いで捕まるかもしれない
「まぁ大丈夫か、事情話せば分かってくれるだろ」
引き戸を開けるとそこは細い廊下だ
顔だけ出して誰か居ないかどうか確認する
「よし、いけるぞ」
そう呟き、こっそりと部屋から出ようとしたところで誰かが近付いてくる気配と足音
(うわ、うわわわ…………!!!)
慌てて部屋に飛び込み引き戸をススーっと閉める
(嗚呼、しまった……)
不味い事をした、とっさに部屋に飛び込んだが、失敗だったのではないだろうか
(通り過ぎろ通り過ぎろ通り過ぎろ……)
もはや神頼みをするしかあるまい
まるで自分がこの家に忍び込んだような気分だ
―――ヒタヒタ
足音は確実に近付いてきている
(あああ……爺さんに殴られて牢屋から連れてこられたなんて
……そんな話誰が信じるんだよ。というかそれじゃ牢屋から逃げてきたみたいじゃんか……)
―――ヒタヒタヒタ、ヒタッ
足音はどんどん近付いてきて、ついに扉の前で止まった
―――ススー
引き戸が静かに開かれる
(…………!!!)
部屋に入ってきたのは俺と同じか、ちょっと低いくらいの背丈の少女
赤茶色の肩にかからない程の短い髪、前髪は右側に流し木製の髪留めで留めてある
驚いて見開かれた赤く綺麗な瞳は、彼女にとっての不法侵入者である俺に向けられている
口に手を当てて今にも叫びそうだ
「ま、待ってくれ!!俺は怪しい者じゃないっ!!」
怪しい奴に限って言いそうな決まり文句を口にしながら、両手を上に挙げて抵抗の意志が無い事を主張
「貴方は誰ですか!?」
ジッと訝しげな目で見つめられビクッとしてしまう、当たり前だが色々と疑ぐっている目だ
「えっと……僕は明宮真といってですね」
ついつい敬語を使ってしまう、一人称まで変わってしまっている自分の情けなさに驚きだ
「何で知らない人が私の部屋に……
はっ……!!?」
少女は何かに気付いたようだ、俺の後ろ側を見て
振り向いてみれば、そこには先ほどまで俺が寝ていた布団が少々乱れた状態で放置されていた
「……布団……朝畳んでおいたのに……」
少女は顔を赤く染めている
その震えは怯えているというより、怒りを堪えているという表現の方が正しい
「まさか……貴方がそこで寝ていたってことじゃないです、よね……?」
(ま、まずい)
とっさに今の状況を判断しようと思い至った
……先ほどの発言から推測するに、ここは目の前の少女の部屋
彼女が朝畳んでおいたはずの布団が乱れていて、誰かが寝ていたことは明らか
そして俺はその部屋に居た
彼女はあの布団で寝たんじゃないかと俺を疑っているわけであり、それは正しい
つまり悪いのは俺をここに寝かした奴であって、俺が悪い訳じゃないよな……うん
しかし、そうかこの娘の布団に寝かされていたのか、可愛い子だなぁ
彼女から花の香りが漂っている気がする、香水か何かを使っているのだろう
ここまでの思考を2秒で済ませた後、口に出た一言
「君、良い匂いだね」
「――――ッ!!!」
彼女の目が見開かれた、口をパクパクさせ言葉も出ないといった様子である
褒めたつもりだったのだが、この状況で言ったのは明らかに失敗のようだ
「へ、へんたいぃ――――!!!」
声を震わせながらも何とかそう叫んだ彼女は、その場でへたりこんでしまう
あぁ…またヘンタイと呼ばれてしまった
沙羅にもヘンタイと呼ばれたし、どうやら俺にはヘンタイという言葉が似合っているらしい
それになんだろう、ヘンタイと呼ばれることが快感になってきたような気がする
ヘンタイと呼ばれる度に何かが疼くのだ、もしかしたら過去の記憶と何か関係があるのでは……
そんな感じで考え込み逃げることも忘れていた俺は、彼女が髪留めを外して口に咥えるのを見た
「お、おい、何を……」
彼女はスーッと息を吸いその髪留めに一気に息を吹き込んだ
piiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii
その瞬間耳がおかしくなりそうな超高音、人間が聴き取れる限界まで高められた攻撃的な音波が響き渡る
部屋全体が震えているような感覚、いや実際にビリビリと音を立てて震えている
耐え切れずに両手で耳を塞ぐが、それぐらいでは意味がない
「や、やめ……耳がおかしく…!!」
彼女に手を伸ばし止めさせようとしたいが耳を塞ぐのに精一杯だ
しばらくすると息が続かなくなったのか、彼女が髪留めを吹くのを止めた
「……」
まだ耳の中で音が反響している気がする
その瞬間、予想外の方向でバンッと引き戸が開かれた
(そっち側とか開くのかよッ!逃げれたじゃん、俺ー!)
「どうした!!!」
突然部屋に飛び込んできたのは、座り込んでいる少女よりも一回り小さな女の子
着物のような衣装を身にまとった小柄な彼女は、桃色の長い髪を揺らして座り込んでいる少女を気遣う
「芽衣……どうした、大丈夫か?コイツに何かされたのか!?」
「お、俺は何もして……」
「ね、姉さん……、助け……」
俺の声をさえぎるように言うと芽衣と呼ばれた少女は、安心したのか気を失ってしまった
「め、芽衣―――!!」
こちらをキッと睨みつけ構える少女
彼女の周りの空気がユラリと揺れると共に、部屋の空気が一瞬にして張りつめた気がした
「貴様、何者だ……?」
冷たい声が部屋に響く
息をすれば一瞬で殺されそうな雰囲気、俺は情けなくも声が出せない、声帯がいかれちまったか
「……」
「私の名は出水桜希!まずは問うておこう!
ここを出水の家と知っての行為か?」
――ブンブン
何とか首だけ振ると否定の意が伝わったようだ
少女がいったん構えを解くと張りつめていた空気が解放される
「知らずに忍び込んだか、愚か者めが……
まぁ良い、どちらにせよ私の可愛い妹に手を出すとは、万死に値すると思え」
「だっ、だから
俺はまだ何もしちゃいないって!!」
全身の力を振り絞り必死に叫ぶと少女は怪訝な表情をした
「ほう……、まだしていないと?」
「そうだっ!まだ何もしていないんだ!誤解なんだよ!」
「まだということは後に何かするつもりなのだな、よし」
――ズビシ
俺を指差した少女はあっさりとこう言い放つ
「死刑決定」
右腕は脇に、左腕は軽く伸ばし足を軽く開く
息をスゥーっと吐いたかと思うと冷たい声で俺に告げる
「安心しろ、一瞬だ」
あぁ、コイツ本気なんだ、すごく目が怖い
このままでは何の罪も無いまま殺されてしまう
冤罪で捕まった人ってこんな気持ちなんだろうなぁと、我ながらに馬鹿なことを考えてるのも束の間
目の前の少女が一瞬で間合いを詰め拳を放つ
極限に高められた威力の拳が俺の頭蓋を砕こうと迫ってくる
ギュオンという人間の拳が出せるのかと疑うほどの音
その音を孕みながら風を切り裂き進む拳
(死んだ)
そう思った瞬間、俺の中では走馬灯のような映像と思考が連続で展開されていく
沙羅のパンツの白さと肌色の輝き
あぁどうせ殺されるんだったらもっとじっくりと拝んでおけば良かった……
笛の娘の胸
あぁどうせ殺されるんだったら、さっきの娘の胸でも揉んでおけば良かった……
目の前の少女の姿
あぁどうせ殺されるんだったら、どさくさに紛れて押し倒すくらいしておけば良かった……
爺さん
あぁ爺さんに興味はないな、うん、全く興味はない……
(このままじゃ死んでも死にきれない……)
瞬時に結論付けた俺の頭の中で何かが切れた感覚
――プツッ
思考がクリアーになり止まっていた時間が進みだす
目の前の少女の拳はまだ俺には届いていない
こんなに小さな女の子に手を出すのは道理に反するが、命を狙われているのならば話は別だ
豪速の拳よりも速い動きで少女の左手側に回り込む
「――なっ!?」
拳は空振りに終わるも、その一撃が生み出した衝撃は部屋全体を駆け巡り、引き戸など容易く吹き飛ばす
――シュゴン!!
信じられないという表情はまだ幼い少女のもの
その顔がこちらを向く寸前でこめかみに右指を突き付け
――ぴんっ
親指で中指を弾く、でこピンと呼ばれる一撃だ、今俺が決めた
「くっ!!」
こめかみを押さえながら体勢を立て直す少女
「ただの物盗りだと思っていたが、どうやらそうでも無いらしいな」
もう一度構え、こちらをキッと睨みつけると部屋の空気がまた張りつめた
殺気がジリジリと肌を焼く嫌な感覚、息さえも許されない空間
「気絶させるつもりだったが、止めだ……確実に息の根を止めてやる」
どうやら彼女はあの凶悪な一撃で気絶させるつもりだったらしい
気絶する前に頭蓋を砕かれて即死だと思ったのは俺の勘違いだったようだ
んな訳あるか!!
心の中で突っ込みを入れつつ内心焦っていた
彼女曰く気絶させるための一撃、
俺が思うに即死の一撃を避けた時に吹き飛んだ引き戸から逃げ出すべきだった……
(まずった……)
先ほどの様に胸が高鳴る感触は消えている、次の一撃は先ほどの様には避けられない
(どうする、どうするよ俺)
そんな絶望的な状況の中
不意にバタバタと足音が聞こえ、引き戸が勢いよく開かれた
――スパーン
「ちょっと待つですー、桜希姉!」
「せ、晴那……」
飛び込んできたのはこれまた小柄な少女
見た感じからすると今までで一番明るくて活発な子だ
その子は俺を指差しながら目の前で殺気を放つ少女に言う
「殺しちゃダメですよぉ!
その見るからにヘンタイチックな男の人は、お爺ちゃんの知り合いなんですって!」
「え、あ?そうなのか?」
意外そうな顔をしつつも、構えを解くとビリビリとしていた殺気が一瞬にして引っ込む
部屋中の張り詰めた空気がなくなり、俺は今まで忘れていたかのように呼吸をしていた
見るからにヘンタイチックという単語に関しては聞かなかったフリ
そのほうがいろいろと身のためだ、うん
「ほらっ!お爺ちゃんってば早く来て説明してあげてくださいよー」
お爺ちゃんってのは……俺をこんな目に遭わせた張本人の爺さんだろうな
何とか、助かった……のか
殺気に触れすぎたのか、安心した俺は膝から崩れ落ちその場に座り込んでしまう
後から入ってきた少女は扉の外に首を出して何か叫んでいる
「そんなトロトロ走ってー、働き者のアリさんの方がもっとマシな走り方するですー
早く来ないとバラバラに切り刻んでミンチにして犬の餌として売り飛ばしますよー?」
「おーおー、相変わらず怖いのぉ晴那はー」
入ってきたのは牢屋で会った爺さんだ
カッカッカと顔では笑いながらも、少女の台詞に顔が引きつっているのが分かる
ついでに言うとその気持ちも分かる気がする
ゼイゼイと肩で息をしているのはミンチにされないように全力で走ってきたからだろう
こちらを見つけるとスマンスマンと軽く手を合わせてきた
「こ奴は真といってワシの友人での、気絶していたから晴那の部屋に寝かせようとしたんじゃよ」
爺さんは俺を指差しながら説明してくれた
いつから爺さんと友人になったのだか分からないが、まぁ黙っておこう
うんうんと頷く晴那と呼ばれた小柄な少女は説明を付け加える
「このボケ爺さんったら、私の部屋と間違えて芽衣姉の部屋に寝かせやがったんですよー?
いくら感情表現が薄すぎて人間らしくない芽衣姉だって、知らない人が部屋に寝てたら人間みたいに驚きますよ」
そう言うと晴那は気絶してしまった少女、芽衣の頬をペチペチと叩きながら呼びかけている
「起きるですよー」
「う、うーん」
しばらく呼びかけていた晴那だったが、風通しの良くなった部屋の一角を半目で見ている
どうやら吹き飛ばされた引き戸を見て呆れている御様子
「あー、お姉ちゃんまた引き戸壊しちゃったのですかー!?」
「あ、あぁ
私が悪いんじゃない、この男が避けたせいだ」
なんか目の前の剛腕少女にいろいろと責任転嫁された、なんだコイツちびっこのくせに
「もうー、避けなくったって桜希姉の一撃喰らったら頭の中身とかのせいでグチャグチャになるんですよ?
修理代だって馬鹿にならないんだし、片付けるのはいつもあたしなんですからねー」
晴那は腰に手を当てて桜希を叱っている
どうにも、この子達の歳の関係が分からない、あとでしっかりと紹介してもらおう……
「この前忍び込んだ泥棒さんなんか頭ごと打ち砕いちゃって、
脳髄とか飛び散った肉片を片付けるのは気持ち悪いんだから勘弁してほしいですー
それに芽衣姉は知らないんですよー?この染みがあの時に出来たものだってー」
そう言いながら畳にうっすらと残る何かの染みを、よくここまで綺麗に出来たものですーなんて言いつつ撫でている
そんな話をしていると芽衣がムクリと起き上がった、どうやら気がついたようだ
「う、うーん……あれ、もう朝?」
まだ意識がボーッとしているらしい
「何寝ぼけたこと言ってるですー」と晴那がまた頬をペチペチと叩いている
「……あれ、私確か部屋にヘンタイが居て笛を吹いて……
ぇ……」
そこまで言った所で俺に気づいたらしく芽衣の顔は見る見るうちに引きつり、続いて一歩後ずさった
「姉さん、この人ヘンタイなんです!」
と俺を指差しながら言う
が、しかし俺のヘンタイ疑惑は爺さんの説明のおかげで解けたのだ、残念だったな笛吹き少女よ
「実は……」
と芽衣は桜希に何やらごにょごにょと耳打ちしてこちらをジーっと睨んでいる
「ほうほう……
芽衣の匂いを嗅いで、君良い匂いがするね、と
それはそれは……なんというヘンタイ」
「う、それは言葉のあやというか何というか……」
痛いところを突かれてしまった、まさに言い訳のできない致命的な一言だ
「やっぱり見た目通りのヘンタイだったですー」
「ほう……わしの可愛い孫にそんなことを」
(あぁ、何というか凄く嫌な雰囲気だ……、俺に対する皆の視線が痛い、痛すぎる
というか布団に寝かせたのは爺さんアンタだ、アンタが悪いんだぞ)
とは思いつつ、もちろん口には出せない
そして、緊張が途切れてへたれこんでいた俺を無慈悲な無数の暴力が襲った
俺の意識は何度目かの断絶を迎えた
「う、うーん……」
目覚めて生きていることに安心する生活なんて出来ればしたくないとは思いつつ
それはいつ如何なる時に急に訪れるか分かったもんじゃない
少なくとも俺は既に三度くらい経験しているからな、経験者はかく語りき
とりあえず体中で痛くないところなんて無いくらい全身が痛い
ついでにいえばヘンタイヘンタイと言われ続けて心も痛んでいる
なんとなく空しい気持ちに駆られながら辺りを見回すと
さきほどまで居た部屋とは違った広い部屋の隅っこに寝かされていたことに気づく
もちろん布団など敷かれていなく、木製の床に直接置かれていた
(最初から布団なんて要らなかったんだ、これで良かったんだよ……)
しみじみとそう思ったところで襖が開き爺さんが入ってきた
「おぉ、気づきおったか、相変わらずタフな奴じゃ……」
続いて爺さんの孫らしい少女達3人も後からついてきた
「まだ生きているのか、しぶとい男め」
「お兄ちゃんってばゴキブリ並の生命力と意地汚さですー」
「……ヘンタイ」
なんか色々と失礼なことを言われている気もするが、まずは説明が優先だ
「それで一体どういうことなのか説明してくれるか?」
「まぁまぁ……とりあえず改めて自己紹介しようかのう
まずは真、お前からじゃ、ウケは狙わんでもいいからの」
なんかウケは狙わなくても良いとか言われると微妙に自己紹介しにくいのだが
「あー、明宮真です
瀕死状態で牢屋にぶち込まれたらいつの間にか生き返りました
記憶喪失みたいで、右も左も分からないのですがよろしくお願いします」
――パチパチ
そう言ってぺこりと挨拶をすると約一名、晴那からの盛大とはいえないが生温かい拍手が送られる
そんな中、爺さんは退屈そうにあくびをしていた、この爺
「普通すぎて何の面白みもないのうー」
何かいろいろと疲れたので黙っていることにすると、爺さんは自分のことを指差して自己紹介を始めた
「じゃあまぁ、こやつはいいとして、今度は出水家の紹介に移ることにしようかの
まずはワシ、出水荘子じゃ。ここいらのお偉いさんということになっとる
まぁくれぐれもワシのことは荘子さんと呼ぶように、爺さんは禁物じゃぞ☆」
かわいこぶったつもりなのだろうか、爺さんは俺に片目をパチリとつぶって微笑みかける
目から小さな星が飛んだ気がしたので全力で叩き落とした
「このクソ爺ぃ、キモいからやめるですー」
晴那がケラケラ笑いながら爺さんの顔をバシバシと叩いている、手加減などしていない、もちろん全力でだ
爺さんが程良くフラフラした所で顔を叩きまくっていた晴那が自己紹介を始める
「あたしは出水家三女の晴那ですー
趣味は家事全般、好きなものはお爺ちゃんですー」
よろしくですー、と言いながらぺこりと頭を下げる姿は何とも可愛らしい
が、さっきまで全力で叩かれていた『大好きなお爺ちゃん』とやらが後ろでフラフラしているため
その可愛らしさすべてを簡単には信じられない俺がいる
そんな俺の気も知らず、爺さんの代わりに晴那が紹介を進めていく
「次は芽衣姉の番ですー」
そう言いつつ、一歩後ろでこちらを睨んでいた芽衣をグイグイと前に押し出す
成されるままに押し出されてきた芽衣は下をうつむきながらボソボソっと呟いた
「次女の芽衣です」
それだけ言うとまた後ろに下がってしまった
そんな姉を見てはぁっとため息をつく晴那
「相変わらず人見知りですねー
えっと、芽衣姉の趣味はお花を育てることなんですー、案外乙女な部分もあるですよー
それにー……」
「せ、晴那
余計なこと言わないでよ」
慌てて晴那の口を手で塞ぐ
――フガフガフガ
しばらく口を塞がれた状態でフガフガしていた晴那だったが、やがて諦めたのかフガフガするのを止めた
――ペロッ
「ひゃうっ!」
甲高い声を上げる芽衣、いったい何が起こっているのだろうか
――ペロッ
「らっらめぇ……!!」
あられもない声を出した芽衣はフラフラとしたかと思うと、後ろにペタンと尻もちをついてしまった
頬は紅潮しハァハァと肩で息をしている
「芽衣姉は相変わらず感じやすいですー」
「ハァハァ……そ、そんなこと……」
悪戯っぽく笑うとペロリと唇を舐める晴那
舐めるだけであれほど悶えさせるとは……なんて恐ろしい子なんだ、是非とも色々な所を舐められたい
「まぁそんな芽衣姉は放っておいて次は桜希姉の紹介ですー」
「う、うむ」
最後ということもあって緊張のためか、ちょっとギクシャクしつつも前に進み出てきた桜希
コホンと咳ばらいをして無い胸を張り自己紹介し始める
「私が、、いじゅ……」
――プッ
思わぬ所で噛んだため、俺はつい笑ってしまった
「笑うなー!」
――シュッ
桜希の放った高速の下段蹴りは吸い込まれる様に俺の無防備な脛に直撃
――ゴッ
「痛ッー!!」
思わず座り込んで必死に脛をさする
「くそっくそっ!折れたぞっ!きっと折れたっ!」
痛がりながらゴロゴロと転がる俺を
「笑ったお前が悪いのだ!」
「桜希姉はアガリ症ですー」
けらけらと笑う晴那、相変わらず誰にでも本音を隠さない子だ
その後ろの芽衣よ、笑わずに知らん顔をしているけれど目が泳いでる
そしていつの間にか意識を取り戻していた爺さん、肩が震えてるぞ
「よっこらせっと」
痛みがやっと引いてくれたので立ち上がると
『アーアー』
顔だけ後ろを向けてしっかりと発音練習しているのが見えた、見た目だけは何とも可愛らしい、見た目だけは
ゴホンゴホンとわざとらしく咳ばらいをして、気を取り直すと一息に叫んだ
「いじゅみ家の長じょ、桜希だッ!」
大声で叫びつつも噛んだ
(また噛んだよ)
恥ずかしさからか顔が赤くなっているが、自分の体がこれ以上壊れると困るので黙っていることにした
――シュッ
桜希の鋭い蹴りが放たれ今度は俺の左の脛に吸い込まれるように直撃
――ガツッ
「――ッッッ!!!」
声にならない声を上げながらも脛を抱えてもだえ苦しむ俺、もう立てないかもしれない
「な、なんっ……で」
「ふんっ、何となくだ!」
プンスコとご機嫌斜めになりながらも後ろに下がっていく
肩を震わせながら必死に笑いを堪えている爺さん
桜希から凄い目つきで睨まれているのには全く気づいていないようだ
さすがに老人の脛を蹴ったりはしないだろうな、桜希……
とまぁ、自己紹介は一通り終わったわけだが、それだけでは俺が何でここに連れられたのか分からない
笑いの発作が治まったらしい爺さんに不明瞭なことを説明するように促してみる
「で、結局俺は何でここに連れてこられたんだ?」
「要件を簡潔に述べるとな……
真、お前は今日からこの家で暮らすのじゃ」
「「「な、なんだってーーー!!!!」」」
約三人分の驚く声が一斉に上がる、ちなみに平気な顔をしているのは晴那、先に説明されていたのだろうか
「男手がちょうど必要だったところでお前の噂を聞いてのう
どうせ行くところもないだろうしちょうど良いからっつーことじゃよ
まぁ、年頃の孫娘達と一緒に住ませるのは少々不安ではあるがウチの子はしっかりしとるからのう」
そんな感じで勝手に話を進めていく爺さん、こちらの都合などお構いなしだ
確かに行くところも無いし、すごく助かるのだけれども、
お嬢さん方の中には明らかに嫌な顔というか、黒いオーラを出している人が一人
「確かに俺は行くところもありませんからお世話になれるんだったら幸いですけど、
皆の都合とかは大丈夫なんですか?」
「まぁ、お爺さまがそう言うなら、私は別に構わないが……」
桜希はしぶしぶといった感じで頷いている、
「力仕事任せられるお兄ちゃんなら大歓迎ですよー、楽できますー」
晴那はかなり乗り気でいるようだ
「……ヘンタイ」
芽衣がこっちを物凄く睨んでいる、冷めたような視線が突き刺さる
「みんなもこう言っているようじゃし、どうじゃウチに住まないか?
家の仕事を手伝ってくれるなら飯も食わしてやるぞ、ん?」
「それじゃ、遠慮なくお世話になります」
俺としても断る理由がないわけだしここは素直に申し出を受け入れることにした
「そうと決まれば今日はお祝いじゃ。晴那よ、張り切って豪勢な料理を作ってくれるかの?」
「分かりましたですー、美味しすぎる料理を作って老いぼれを昇天させてやるですー」
満点の笑顔で答える晴那、ここ数日は握り飯ばかりだったから豪勢な料理が凄く楽しみだ
(そうだ、出来るなら沙羅にも料理を少し持って行ってあげることにしよう、うん)
「カッカッカ、そりゃあ楽しみじゃのう
この前みたいに塩と間違えて痺れ薬を入れんように気をつけるんじゃぞー?」
「あれはわざとですー」
「カッ……」
ニコニコと爺さんに微笑みかけてる晴那と、その笑顔を固まった表情で見つめ返す爺さん、対照的な二人の表情
桜希も一歩前に出て我こそはと名乗りをあげる
「それなら私も手伝うことにしよう、今朝調達してきた食材が食べ頃なのだ」
が、爺さんと晴那はそれを手で制した後、なだめるように言い聞かす
「桜希姉は休んでてくださいですー」
「桜希は休んでて良いんじゃぞー」
「む、そ……そうか?」
お祝いと聞いて少しワクワクしたのか芽衣もソワソワしている様に見えた
晴那の服をクイクイっと引っ張り「庭の野菜とか香草も沢山使うと良い」とか言っている
やっぱりみんな祝い事が好きなんだな
そんなわけで俺は夕食まで自由な時間をもらうことになった、そこら辺をウロウロしててくれとのことだ……
――ゴロゴロ
「……」
――ゴロゴロ
「……」
――ゴロゴロ
「……暇だ」
暇になった時間を持て余しているところで良い香りが鼻をくすぐった
「あ、凄く良い香りが……、晴那が料理してる土間からか」
そういえば今頃晴那は宴のための料理を用意しているのだ
ちょっと小腹も空いてきたし、様子を見に行きがてら味見でもしに行ってみようか
出水家は地主らしい大きな屋敷で俺が今居る居住空間と離れにある道場の二つに分かれているらしい
居住空間の東側3つの部屋は桜希、芽衣、晴那の部屋
緊急の時以外に迂闊に入ると半殺しにされるらしいので要注意だと、爺さんが涙目で語っていた
晴那が料理している土間は玄関のすぐ横にある
とりあえず玄関から一度外に出て、土間に入ろうとして音が聞こえるのに気づいた
――トトトトトトットットトトトトトトトトトトトトト
「何だこの音は……」
小気味良い音が響く土間へ入っていく
「晴那さーん、料理を味見……じゃない手伝いに来たぞっと
うぉっ!」
そこは一人の戦士が戦っているまさに戦場のような所だった
調理場でせかせかと動き回っているのは晴那
大量に置いてあった野菜の千切りをトトトトトとあっという間に仕上げると、それを巨大な鍋の中に入れ炒め始める
野菜がしんなりした所で塩と香辛料らしきものを加えさらに炒める
燃え盛る炎で巨大鍋を熱しながら豪快に振るう姿、どこにそんな力があるのかと疑いたくなるほどだ
晴那の調理速度はどんどん加速していき、その間にも料理は次々と仕上がっていく
味見とかそういう次元の話では無い、手伝う暇すら与えてはくれないような手際の良さ
もはや声をかけられる状況にはないがイチかバチか声をかけてみることにした
「晴那さん!晴那さん!」
――ガガガッガッガッ
「何か手伝おうか!?例えば味見とかさっ!」
鍋がこすれるガッガッという音が大きすぎるのでこちらも叫ぶ
「……」
無言のままピタッと料理の手を休める晴那、光の灯らない空ろな瞳でこちらを一瞥
そして晴那の手が動いたかと思うと、包丁が頬を掠めて俺の顔のすぐ横の壁にトスっと刺さった
「あっ、あーーっ!!」
慌てて飛び退いた
虚ろな目のまま歩み寄って壁に刺さった包丁をビシュッと抜いてこちらに差し向ける晴那
「料理中のアタシに丸腰で声をかけるとは、何と愚かな……
しかも味見だと……何様のつもりだ貴様」
ドスのきいた低い声、黒き瞳に赤い光が宿り揺らめく
(誰――!?というか最近の俺って殺されそうな場面多くない!?)
「なーんて」
低い声で呟いた晴那は、ニカッと笑顔になり包丁を下ろす
「料理中に声をかけるのは厳禁ですー、それに味見の必要は無いくらいアタシの料理は美味しいですよー」
とか言いながら俺の腕をプスプスと包丁で突っついてくる、絶妙の刺し具合で血が出ていないけど痛い
「そ、それは悪かったな、うん、ごめん
痛、痛いから止めて」
相変わらず恐ろしい子だ……こんな性質があっただなんて
「それで、一体何の用ですー?」
瞳に光を取り戻した彼女はキョルンと可愛らしく小首をかしげて聞いてきた
「いや、暇だから晴那さんを手伝おうかなと思って来たんだけど……」
「気持ちは嬉しいですけど、アタシは一人で料理する主義なんですー
手伝われると調子狂うですよ」
「あ、そうなのか」
確かに俺が手伝えることもなさそうだし
仕方ないお手伝いして好感度上げる作戦は諦めるか……
「それからアタシのことを呼ぶ時は晴那で良いですー、アタシも真兄って呼ぶですー」
う、嬉しい
さっきみたいな殺されるような場面よりも、こういうアハハウフフな展開を望んでいるんだ俺は
「あ、あぁ分かった
それじゃ晴那、料理中悪かったな、料理期待してるから」
「任せるです―」
そう言ってにぱっと笑顔を咲かせると晴那は調理場に戻って行った
引き戸を元に戻し外に出ればまたあの音が聞こえてくる
――トトトトトトトトト、ガガガッガガガッガッガッガー
こうして、俺は鬼もしくは悪魔の類が奮闘する戦場を後にして居間に戻った
「それにしても広い屋敷だよなぁ……」
「一応屋敷の中の説明はされたけど、どうせなら家の周りも散策してみるかな」
玄関を出るとそこには庭が広がっている、どうやら屋敷の周りを取り巻くように庭になっているようだ
しばらく屋敷沿いに歩いていると小屋のようなものが見えた
「ん、何だあの小屋は?」
人が一人入れるくらいの大きさ、個人用の倉庫か何かだろうか
好奇心が刺激され早速近づいて見てみようとしたところで、誰かが歩いてくるのが分かった
咄嗟に屋敷の陰に隠れる俺、傍から見れば最高に不審者だ……何で隠れたんだろう
陰からこっそりと様子を伺っていると、そこに現れたのは芽衣だ
てってってーと少し急ぎ足で小屋の方へ向かっている
――こんこんこん
引き戸を叩いて中に誰も居ないか確認してそろりと小屋の中に入っていった
何やら怪しい、まぁ俺も十分怪しいがそれと同じくらい怪しい
(まさか隠れて美味しい物でも食べようという算段か……
はたまた人には見せられない姿であんな事やこんな事を……
あんな事やこんな事……を独りで?
そりゃあ、お前、男だったら手伝ってやったほうが良いよな、うん
きっとそうだ……)
俺の思考は芽衣のあんな事やこんな事を手伝いに行くという結論に達した、後は行動に移すだけだ
「よし、芽衣、今手伝いに行くぞ!」
張り切って小屋に向かい走り出そうとした所で、背後から殺気と共に拳が飛んできた
――シュッ ゴッ
「阿呆かぁ!」
拳の衝撃で軽く吹き飛ばされた俺は空を見上げる
広がるのは蒼い空、たなびく白い雲、さんさんと照り返す真っ赤な太陽、
そしてこめかみに青筋を立てる着物の幼女、もとい長女
「良い天気ですね、桜希さん」
「あぁ、そうだなヘンタイ
今の私は凄く機嫌が良いから、貴様の脳が世界を知覚できないくらいにぐちゃぐちゃに潰してやってもいいぞ」
「まだ季節を感じていたいので遠慮しておきます、ところであの小屋は……ん?」
小屋の方を見ると引き戸が少し開いている
今のやり取りが聞こえたのだろうか、小屋の中からこっそりとこちらを覗いている芽衣
顔を真っ赤に染めながら大声で叫んできた
「ドヘンタイ!死んじゃえ!」
うえーんと泣きながら何処かに走っていく芽衣、いったい何だっていうんだ……
「桜希、あの小屋について少々伺いたいのだが」
「いきなり桜希とか呼びつけか、慣れ慣れしいヘンタイだな。まぁ良い教えてやろう
あれは厠だ、か、わ、や」
かわや? 聞いたとこのない単語が出てきた
「何だそれ、何をする所だ……?」
「……えっと、それはだな、その、用を足す所で……」
「用を足す……?」
またもや聞いたことが無い言い回しだ、記憶喪失というのはやはり不便なものだとつくづく思う
というか俺が世間知らずなだけなのだろうか
珍しく弱気になっている桜希を質問攻めにしてみる、優位に立っていると凄く良い気分だ
「用を足すってのはどういうことなんだ?つまりあんな事やこんな事をすると……?」
「いや……あんな事やそんな事というかお前はどれだけヘンタイなんだ
つまりだな、用を足すというのはだな、あの……」
何故か口ごもる桜希、これは間違いない、やはり何か怪しい事が行われているんだ、人に言えない様な何かが
「この目で確かめざるを得ない」
「あ、おいっちょっと待っ!」
桜希に止められる前に小屋に全力で走り寄り、ガラッと引き戸を開ける
「こっこれは!」
かわやという言葉も用を足すという言い回しも知らなかった俺だが、この空間は何をする場所か分かった
雰囲気が俺に訴えかけてくるのだ、それにちり紙とか置いてあるし
それにしても綺麗に掃除されている
はめごろしの木製格子から風が入り込んでくるので、なんとも清潔な空間が展開されている
しかし一人で入るには広いな、ずいぶんと
それから桜希が追い付いてきてペシッと頭を叩いてきた
「こらっ、誰か入っていないか確認してから入るのが礼儀だぞ、鍵があるとはいえ簡易なもので外れやすいからな」
「なるほど。次からはそうすることにしよう」
つまり鍵はほとんど役に立たない訳と、簡単に外れるんですか、そうですか
「それで、ここがどういう事をする所か分かったであろう、用を足すというのはつまりそういう事だ、うん」
説明せずに済んだと言わんばかりに桜希は帰ろうとする
が、その肩をがっちり掴み引き戻す
そうはいかないぜ、桜希
「いや、用を足すの意味は分かったけれども
正直これを見ても使い方があまりよく分からない、是非ここで実演してもらいたいのだが……」
くるっと振り向く桜希の目が怖い、殺されるまた殺される
「……死にたいか、真」
殺戮の波動を放出しつつ、今にも拳を振り上げようとしている桜希さん
しかし、あはんうふんな展開を楽しみにしてる皆のためにも、俺はここで引くわけにはいかないのだ
「冗談で言っているんじゃない、俺は本気だ!これを一体どうやって使うのか分からないんだよ
どうも俺は記憶喪失で色々なことを忘れているらしいんだ……
だから頼む、是非ともここで使い方を実演してくれ……」
ここぞとばかりに土下座をして神様にでも拝むように頼みこんでみる
――ジト
「いくら記憶喪失でも、そういう事は忘れないものじゃないのか?」
物凄く不審な目を向けられているのが痛いほどによく分かるが、俺も男だ、男には引けない場面もあるのだ
「俺の目を見ろ、これが嘘をついている人間の目だろうか、いやそんなはずはない」
「ものすごくキラキラと輝いて何かを期待している目に見えるのは気のせいか……
それじゃあ、ここで私が使い方を教えなかった場合もし、べ、便意を催したらどうするつもりだ」
「便意を催す?つまり用を足したいときということだな。
それなら、そこら辺の木陰で適当に済ますだろう、そして安心しろ、しっかりと埋めるつもりだ
まぁもしうっかり目撃したとしたら不幸だな」
う、と一歩後ずさりどうしようかと戸惑っている様子を見せる桜希、あと一押しという所だ
「さぁ、見せてくれないと庭が大惨事になる可能性が高いぞっ」
我ながらに言っていることは支離滅裂だが、桜希にはだいぶ効果があったみたいだ
「はぁぁぁ……、仕方あるまい」
ガックリと肩を落としうなだれる桜希、やった、勝った
グッと拳を握り喜びを噛みしめる、もちろん桜希に気づかれないように
俺と入れ替わるように、カワヤとやらに入った桜希はちょっと内側に来いと俺を呼ぶ
呼ばれた俺は素直に中に入る、何だかワクワクしてきたが表情には出さない
本来なら一人分の空間に二人が入っているわけで狭いはずだ
しかし思ったよりも広く作られているのと、桜希が犯罪的に小さいこともあり、動き回れるくらいに大分ゆとりがある
「さて、まず扉を叩き中に誰も入っていないか確認してから引き戸を開け厠の中に入る、ここまでは良いな?」
「あぁ、それくらいは分かる」
「中に入ったら鍵を閉めるんだ、そこに長い棒があるだろう」
そう言われ床を見ると確かに長い棒が置いてある
「あぁ、これでつっかえ棒にするというわけだな」
――カタン
「その通りだ、これでよしっと」
引き戸の横に棒を立て掛ければ外側からは開けない、簡易的ではあるが考えたものだ
「こんな姿晴那達に見つかったら何を言われるか分かったもんじゃない……早く済ませるぞ」
「へいへーい」
桜希は床の上に乗っている取っ手付の板を指差し説明し始めた
「それからここの板を取って、まぁ今は取らないが
後は落ちないように座って腰を浮かせてだな……、まぁ今は座らないが
あとはその紙で拭いたりなんだりして終了だ、まぁ今は拭く必要もないな
最後に厠から出たら近くに川が流れてるからそこで手を洗うように、以上。なお質問は受け付けない」
早口でそこまで言うとそそくさと出ていこうとするから、それを両手を広げて全力で阻止する
広いとはいえ両手を広げてしまえば出ることはできない密閉空間、まぁ密閉じゃないけど
「退け、真、もうお前に説明することはない」
「待て待て待て
実際に座る真似くらいしてもらわないと、どうやるのか分からない、それに落ちるって何だ、深いのか」
桜希はため息をつくと神妙な面持ちで真剣に語り出した
「いいか、真……これだけは言っておく、
興味本位だけでこの床下を見るのは危険すぎる、覚悟を決めろ、さもなくば見ない方が良い」
「……そうなのか」
「そうだ、落ちないことだけを念頭に置くだけだ、いいか、顔は下に向けるな、壁でも眺めていろ」
「なんだ、それじゃあ尚更お手本を見せてもらわないとな」
「うぐっ」
桜希は顔を真っ赤に染めながらこっちを睨みつけつつも
「一度きりだ、特別だからな」
と言うと壁側を向いてくれた、なんだかんだ言って優しいというか甘い桜希
「二度はやらないからよく見ていろよ、あ、いや、あまり見なくていい」
どっちだ、と心の中でツッコミを入れつつも「わかった」とだけ返事をしておく
桜希は壁側を向きながら「こういう方向で座るんだ、逆向きじゃ駄目だ」と説明を加えている、律儀な奴め
そして足を広げてよいしょと言いながら腰を浮かせて座り込んだ
俺もそれに倣い座り込む、もちろん尻を見るためである
桜希は手で顔を覆って「うぅ、は、恥ずかし……」とか呻いているから気付いていない
尻に注視して気づく、段差が無いと案外見えないものだ
床に這いつくばれば存分に堪能できるのだが、さすがに俺もそこまではしない
「なるほど、だいぶ理解が深まった」
(思ったよりも見えないが、しかしこれはこれで……)
「もう良いか?」
「いや、もう少し待ってくれ。この光景を目に焼き付けておく」
俺はそう言うと残っている記憶領域を全て桜希の尻に費やすため観察を続ける
「……忙しそうだな真」
「あぁ、凄く忙しい。何しろ粗相するわけにはいかないからな」
ジトーっとした視線に気づき、尻から目を離して顔をあげてみると、肩越しに振り向いている尻の持ち主
こめかみが恐ろしくピクピクしている、桜希様はどうやら酷くご立腹の様子だ
「こんのッ!ド変態が――!!」
その後、怒鳴り声と共に放たれた頭部への過剰なまでの打撃
俺の頭から記憶と意識を奪っていくのにそれほど時間はかからなかっただろう
気づくと俺は仰向けに倒れていた
顔が酷く腫れているし頭はクラクラする
「痛ッ、俺は一体何を……」
立ち上がると小屋が見えた
「何だ、あの小屋」
引き戸があったようだが無残にも砕け散って辺りに破片だけが散乱している
何が起こったのだろうか……
近づいて小屋の中を見てみるとココが何をする場所か分かった
「あぁ、ここがそうか。次からここですることにしよう……」
独り呟き、頭が痛いので居間に戻って寝ることにした……
居間に戻ってゴロゴロしてると不意に背後から視線が突き刺さる、視線というよりむしろ殺気が突き刺さる
寝返りをうって反対方向を向くと桜希が障子の隙間からこっそりこちらを伺っているのが見えた
芽衣からの視線が痛いのはいつものことだが、今度は桜希からの殺気が痛い
自己紹介で噛んだのを笑ったこと、まだ根に持っているのだろうか
責められている様な空気に耐えきれなかったので謝ってみる
「正直すまんかった」
「分かれば良いのだヘンタイめ」
僅かに開いていた障子がピシャンと閉められると、突きささる殺気は消えていった
――グゥゥ
「は、腹が……」
屋敷周りの探索を終えて、座敷で寝転んでいると不意に障子が開かれた
――タン
「真兄、宴の料理の準備が出来たですよー」
トテテと入ってきたのは晴那
「芽衣姉と桜希姉はアタシが呼ぶから、真兄はお爺ちゃんを呼んできてほしいです」
「おぉ、任せておけ、そんで爺さんは何処に居るんだ」
「お爺ちゃんはいつも道場に居ます、たぶん今も居ると思うのでー、じゃあ頼んだですー」
そう言うと晴那はまたトテテとどこかに走り去って行った
「よっと」
俺も立ち上がって爺さんを呼びにいくことにする
「確か道場は離れにあるんだったよな」
玄関を出てから屋敷をぐるりと回るように進む
庭沿いにしばらく歩いたところで離れらしき建物の入り口が見えた
ガラリと戸を開けるとひんやりした空気が頬を撫でる
離れの中と外ではまったく雰囲気が違い、ここが神聖な場所のように感じられた
入口から伸びる廊下をまっすぐに進むとその奥には大広間があった
宴会でも出来るんじゃないかというくらい広い空間で床には畳が敷き詰められている
「こりゃまた広い部屋だな……」
その大広間の奥の方に爺さんがぽつんと正座して目を瞑っていた
精神統一でもしてるのだろうか
飯が冷めてしまうのは嫌だが、修行の邪魔になっては悪いので少し放っておいたほうが良いと判断
壁にかかっている掛け軸やら水墨画を眺めることにした
――ゴツン
何かがぶつかる音がして振り返ると爺さんがおでこをさすっている
(まさか寝てたのか……)
「おお、真か
ちょうど今、精神統一が終わったところじゃよ、カッカッカ」
うそつけと心の中で呟いた俺はさっそく要件を伝える
「えっと、晴那が料理出来たから、じ、荘子さんを呼んで来いって……」
料理と聞いて、そうかそうかと笑顔になった爺さんは笑いながら立ち上がると一瞬動作を止めた
「あ、足が痺れ……」
そんなことを呟く爺さんはどっこらせと座り込むと足を揉みだした、早くしろ飯が冷める
「正座なんかするもんじゃないのうー、やっぱし男はあぐらが一番じゃ、カッカッカ」
しばらくすると痺れが取れたのか、今度は機敏な動きで立ち上がり駆け足で出口の方へ
「あっ、ちょっと!冷めるのが嫌だからって走らなくても良いんじゃ……」
シュタッと立ち止まって振り返る爺さんは俺に忠告するべく深刻な顔で語り出した
「晴那は生粋の料理好きで、料理が冷めることを激しく嫌う
それ故、著しく遅れた者には容赦無い仕打ちが待っている……
命が惜しければ急ぐのじゃ、真よ」
そう言い残すと老人とは思えない速度で、あっという間に見えない距離まで走って行ってしまった
「くそっ、わざわざ呼びに来てやったというのにあの爺さんめッ……」
愚痴をこぼしてる場合ではない、料理が冷めないうちに早く飯を食いに行かないと殺される
そんなわけで俺も爺さんの後を追って、といっても爺さんのように超人的な速度で走れるわけではないが
出来る限りの全力疾走で追いかけることにしてみた
「のびのび……」
「そうだな」
「真兄の馬鹿―、来るの遅いですー、死ぬ気で走れですー、
わざわざ粉から練った麺なのに……うぅっ……ぐすっ」
涙ぐみながら俺をポカポカと叩いてくる晴那、泣かれるよりもまだ怒鳴ってくれたほうが精神的に楽だ
「いや、本当にごめんっ!」
俺も全力疾走してきたんだけど、麺料理の伸びる速度にはさすがに勝てなかった
まさか麺料理が用意されているとは……
「晴那がせっかく作ってくれた麺料理を無駄にするようなことをして申し訳ありませんでしたー!」
食事の場に最後に到着した俺は今現在
地べたに額を擦りつけるくらい全力で平謝りをしているわけだ
「カッカッカ、修行が足りんぞ真よ」
爺さんは何事も無かったかのように涼しい顔でこちらを見て笑っている
「まぁ良いですー
これ以上延びないうちに食べるですー」
「というか皆が集まった時には麺は延びてなかったのか?
せっかくの麺料理なんだから、待たずに先に食べてても良かったんだが……」
なんとなくバツが悪そうな顔をする晴那だったがニパッと笑って
「実は間違って先に麺を茹でてしまったので
料理が全て完成した頃には既に延び延びでしたですー♪てへ☆」
嘘泣きだったのか……やはり、この娘は油断ならない
!! 企画凍結中 !!